無礙山法界寺。厚木市下荻野にある浄土宗寺院

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

無礙山法界寺。小田原城主北条氏直が命じて建立

法界寺の概要

浄土宗寺院の法界寺は、無礙山圓融院と号します。法界寺は、小田原城主北条氏直が家臣松田右兵衛大夫康長に命じて、御代官土屋豊前守を開基、広蓮社覚誉宗公大和尚を開山として天正13年(1585)に創建、小田原北条の役に際して兵火により焼失したといいます。その後土屋豊前守某(慶長5年1600年卒、法名桂山源秀)が中興開基となり、覺譽(寛永2年1625年卒)が中興開山、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を江戸幕府より受領していました。

法界寺
法界寺の概要
山号 無礙山
院号 圓融院
寺号 法界寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 厚木市下荻野1396
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法界寺の縁起

法界寺は、小田原城主北条氏直が家臣松田右兵衛大夫康長に命じて、御代官土屋豊前守を開基、広蓮社覚誉宗公大和尚を開山として天正13年(1585)に創建、小田原北条の役に際して兵火により焼失したといいます。その後土屋豊前守某(慶長5年1600年卒、法名桂山源秀)が中興開基となり、覺譽(寛永2年1625年卒)が中興開山、慶安2年(1649)には寺領10石の御朱印状を江戸幕府より受領していました。

厚木市史史料による法界寺の縁起

無礙山円融院法界寺(下荻野新宿1396)
この寺は、無磯山法界寺と称し、法然上人を元祖と仰ぐ浄土宗である。
天正拾三年三月(三八五年前)小田原城主北条氏直公、奉行松田右兵衛大夫康長に命じ、御代官土屋豊前守を開基とし、広蓮社覚誉宗公大和尚を開山として創立したが、天正拾八年小田原城落城のとき、兵火にかかり堂字全焼す。
第三世雲竜和尚、徳川三代将軍家光公に歎願し、慶安二年八月(三二四年前)高拾石の御朱印並びに境内除地、四五九坪を賜わり再建したが、文政四年十二月二十六日夜半出火して、山門を除く外七堂伽藍、悉く烏有に帰す。
現在の本堂は、天保拾五年三月の建築にして、百二十六年を経たり。昭和三十年三月方形茅葺屋根を、入母屋亜鉛葺きに改造す(以上「法界寺の莱」による)(「厚木市史史料」より)

新編相模国風土記稿による法界寺の縁起

(下荻野村)
法界寺
無礙山圓融院と號す、浄土宗(京知恩院末、)慶安二年住僧大譽が記録に、北條氏直松田右兵衛大夫康長に命じて造立せしめ、寺領若干を寄附せしが、小田原落去の時兵火に罹て後、次第に衰微せし由見えたり、中興開山覺譽(寛永二年正月十三日卒、)中興開基、土屋豊前守某(慶長五年九月廿九日卒、法名桂山源秀境内に墓あり、)本尊彌陀(長一尺八寸惠心作、)又三尊彌陀を置(朝日如来と號す、同作、長一尺二寸七分、中古江戸深川の商人、三郎兵衛と云者寄附す、)慶安二年寺領十石の御朱印を附せらる、
【寺寶】名號二幅。一は法然一は知恩院尊光親王の筆、
鐘樓。鐘は寛永十四年始て鑄造、寶永七年享保十九年兩度再鑄の銘あり、
熊野社
新田明神社
天満宮
稲荷社二
地蔵堂
子院。専修院(中興覺譽代開建す)靈吟院(新編相模国風土記稿より)


法界寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • 「厚木市史史料」