長沼諏訪神社。長沼村の鎮守、稲葉明神社
長沼諏訪神社の概要
長沼諏訪神社は、厚木市長沼にある神社です。長沼諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地には諏訪因幡守が奉斎した稲葉明神社が祀られていたといいます。隣郷の沼目村に祀られていた諏訪社が、稲葉明神社が2度臨御したため、稲葉明神社前に奉斎、いつしか諏訪神社が主祭神となったといいます。江戸期には長沼村の鎮守として祀られていました。
社号 | 諏訪神社 |
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祭神 | 建御名方命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲葉社 |
祭日 | 例大祭4月17日 |
住所 | 厚木市長沼183 |
備考 | - |
長沼諏訪神社の由緒
長沼諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当地には諏訪因幡守が奉斎した稲葉明神社が祀られていたといいます。隣郷の沼目村に祀られていた諏訪社が、稲葉明神社が2度臨御したため、稲葉明神社前に奉斎、いつしか諏訪神社が主祭神となったといいます。江戸期には長沼村の鎮守として祀られていました。
新編相模国風土記稿による長沼諏訪神社の由緒
(長沼村)
諏訪社
鎮守なり、祭神建御名方命、神體甲冑を着せし像なり(長七寸)例祭七月二十七日、村民持、
末社。疱瘡神、不動
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稲葉明神社
村持、祭神詳ならず(かうか三郎と云者の靈を祀りしとも傳ふ、かうかの文字詳ならず、)祭禮七月廿七日、
末社。八幡、山王、天神、辨天、稲荷(新編相模国風土記稿より)
神奈川県神社誌による長沼諏訪神社の由緒
往古古名中沼と記していた頃、諏訪因幡守八上比売命を斎奉なさって稲葉社と言い、隣村五筒村の鎮守となった。諏訪因幡守は、稲葉の八上売命の御景図にあったと伝えられている。隣郷に沼目村という村があった。この村は高低の土地で、諏訪坂言った所に諏訪神社の御神殿があった。該村神社の、御神霊本村稲葉神社の広前に臨御なさったため、村民恐懼して、直ちに沼目村へ折返しなさったが、日月も経ずに、尚又降臨なさった。この神社は諏訪因幡守に縁由ある神社だろうと、村民相連して稲葉神社の広前に斎奉した。現在諏訪神社を鎮守と称している。(神奈川県神社誌より)
「厚木市史史料」による長沼諏訪神社の由緒
諏訪神社(長沼宮の東)
新編相模国風土記に「諏訪社 鎮守なり祭神建御名方命、神体甲冑を着せし像なり(長七寸)例祭七月二十七日村民持」現在の祭礼は四月十七日。(「厚木市史史料」より)
長沼諏訪神社の周辺図
参考資料
- 新編相模国風土記稿
- 神奈川県神社誌
- 「厚木市史史料」