延命寺。足柄上郡松田町にある曹洞宗寺院

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延命寺。足柄上郡松田町にある曹洞宗寺院

延命寺の概要

曹洞宗寺院の延命寺は、万松山と号します。延命寺は、文明4年(1472)に創建、小田原北条氏の家臣遠山丹波守(延命寺節渓宗忠、天文2年1533年卒)が開基、久野総世寺3世一宇宗箇(永正5年1508年寂)が開山したといいます。東国花の寺百ヶ寺の牡丹です。

延命寺
延命寺の概要
山号 万松山
院号 -
寺号 延命寺
住所 足柄上郡松田町松田惣領2160
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 メモリアルホール松田
備考 -



延命寺の縁起

延命寺は、文明4年(1472)に創建、小田原北条氏の家臣遠山丹波守(延命寺節渓宗忠、天文2年1533年卒)が開基、久野総世寺3世一宇宗箇(永正5年1508年寂)が開山したといいます。歴代遠山氏より寺領の寄進を受け、江戸時代には小田原藩より修繕資材の提供を受けていました。

新編相模国風土記稿による延命寺の縁起

(松田惣領)
延命寺
萬松山と號す、曹洞宗、(足柄下郡久野村總世寺末、)文明四年草創、開山は宗箇、(本寺三世、永正五年正月廿九日寂、同末八澤村宗淵寺にては廿五日とす、)
開基は遠山丹波守某なり、(法名延命寺節渓宗忠、天文二年三月十三日卒、夫婦の牌あり、妻は法名等種院貞香宗梅と號す、某は家譜に景信に作り、江戸城の守護たりとあり、)
永正三年正月遠山隼人佐直景、五貫三百文の地を寄附し、(注釈を読む)
七年二月、又寄附の地あり、(注釈を読む)
大永元年二月、松田道場の免田、及寺地を収て、當寺に寄附せり、(注釈を読む)
天文四年八月、遠山藤九郎綱景三ヶ條の法令を出す、(注釈を読む)
永禄十一年二月、道場免先規に復して、彼道場に寄附する由、遠山甲斐守(按ずるに、元龜の頃は、右衛門大夫と稱す、)政景證状を出せり、(注釈を読む)
天正七年七月、政景より寺領として、又五百貫文の地を寄附あり、(注釈を読む)
某年、當寺修理の時、其料材として、上大井村三島社境内の松樹を領主に就て請し事あり、(注釈を読む)
慶長中當寺萱葺替のため、近隣の諸村より竹を納めて、其の料に宛、是領主の命に依てなり(注釈を読む)
寛永二年、下總國國府臺總寧寺より、寺家の掟を示す、(注釈を読む)
本尊聖觀音、(長一尺五寸五分、慧心作、)胎籠白衣觀音、(長五寸五分、智證作、)
【寺寶】
△古文書十通。内九通は前に註記せり、一通は某年八月、領主大久保忠隣の臣より、康最(其所在詳ならず、)寺家の事、當寺にて指揮すべき旨、且法度を令ぜし下知状なり、(注釈を読む)
△開山堂
△衆寮 虚空蔵を安ず、
△鐘樓 寛永八年鑄造の鐘を掛く、
△鎮守社 白山水神神明を祀る、(新編相模国風土記稿より)


延命寺所蔵の文化財

  • 延命寺観音堂の三仏像(松田町重要文化財)

延命寺観音堂の三仏像

一、薬師如来像
鎌倉時代初期の作と考えられる寄木造りの座像で、高さ六五cm、薬壺を持たずに、両手は定印を結んで正座した端正な姿は威厳がそなわっています。
二、聖観音菩薩立像
鎌倉時代末期の作と考えられ、像高一五三cm光背の高さ一七三cm、姿体が豊満で顔に慈愛がこもっていて、念じる人の迷いを解いてくれる感じがする。
頭には、銅製の鳳おうのすかし彫りの冠をつけ、左手には蓮華の壺を持っています。
三、薬師如来立像
室町時代初期の作で、像高一四五cm、光背の高さ一七三cm左手に薬壺を持ち、右手でこれを護っている慈愛に満ちた姿からは、ありがたさが感じられます。(松田町教育委員会掲示より)

延命寺の周辺図


参考資料

  • 「松田町史」
  • 新編相模国風土記稿