定願寺。栃木県栃木市旭町にある天台宗寺院

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順礼山定願寺。宮内少輔成宗を弔う阿弥陀堂として創建、平等庵の鐘

定願寺の概要

天台宗寺院の定願寺は、順礼山修徳院と号します。定願寺の創建年代等は不詳ながら、領主皆川俊宗が、戦死した亡祖父宮内少輔成宗やその家臣達の菩提を弔うために供養した阿弥陀堂を創始とします。皆川氏の栃木城築城に伴い、阿弥陀堂は当地へ移転、一寺として定願寺と号したといいます。当寺の「平等庵の鐘」は、栃木市有形文化財に指定されています。

定願寺
定願寺の概要
山号 順礼山
院号 修徳院
寺号 定願寺
本尊 -
住所 栃木市旭町22-4
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



定願寺の縁起

定願寺の創建年代等は不詳ながら、領主皆川俊宗が、戦死した亡祖父宮内少輔成宗やその家臣達の菩提を弔うために供養した阿弥陀堂を創始とします。皆川氏の栃木城築城に伴い、阿弥陀堂は当地へ移転、一寺として定願寺と号したといいます。

「栃木市史」による定願寺の縁起

定願寺(順礼山修徳院)天台宗
下野国誌に
「皆川山城守成勝の時、永禄六年(一五六三)亡父宮内少輔成宗並討死せる家臣の菩提の為に、領内川連村の阿弥陀堂に於いて、常念佛を供養せしむと云々。今の栃木駅定願寺これなり。則常念佛の料として、九反九畝二歩今に寄付の田地あり」
とのべている。
成勝はその子俊宗の誤りであり、阿弥陀堂跡は川連よし山の墓地附近に存在する。
天正年間皆川山城守広照のとき、新たに栃木城を築城(栃木城内)したが、その城下町を形成するために、川連の阿弥陀堂を現在の地に移し定願寺とした。
そのとき、皆川氏は東西百五十間、南北二百間の地を選んで堂宇を建設、その重臣石塚重右衛門・毛塚六郎右衛門・渡辺三左衛門・押田弥次郎・小倉与右衛門らを檀徒として守護させたという。(「栃木市史」より)


定願寺所蔵の文化財

  • 平等庵の鐘(栃木市指定有形文化財)

平等庵の鐘

鐘の作者は佐野の松山善太郎、彫工師は栃木県の志鳥源助、平田幸助、製作年代は寛政四年(一七九二年)十一月である。
栃木町の円説、三説、渡辺三左エ門、田村弥四郎、高山市兵衛、早乙女源太郎等が施主となって造ったもので、天命鋳物の逸品である。(栃木市教育委員会掲示より)

定願寺の周辺図