誕生寺。栃木県栃木市岩舟町にある真言宗豊山派寺院

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誕生寺。慈覚大師円仁の生誕地

誕生寺の概要

真言宗豊山派寺院の誕生寺は、高平寺の別院です。誕生寺は、慈覚大師遺跡地である当地にかつて高平寺があったものの、高平寺が移転したことから、高平寺別院として遺跡地が残されています。慈覚大師円仁は、崇神天皇の第一皇子豊城入彦命の子孫といわれる豪族壬生氏の出で、高平寺大慈寺で修業、天台宗比叡山延暦寺第二世となった名僧で、各地に慈覚大師の作とされる仏像が残されています。

誕生寺
誕生寺の概要
山号 -
院号 -
寺号 誕生寺
本尊 -
住所 栃木市岩舟町下津原1860附近
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



誕生寺の縁起

誕生寺は、慈覚大師遺跡地である当地にかつて高平寺があったものの、高平寺が移転したことから、高平寺別院として遺跡地が残されています。慈覚大師円仁は、崇神天皇の第一皇子豊城入彦命の子孫といわれる豪族壬生氏の出で、高平寺大慈寺で修業、天台宗比叡山延暦寺第二世となった名僧で、各地に慈覚大師の作とされる仏像が残されています。

境内掲示による誕生寺の縁起

慈覚大師誕生の地
平安時代随一の学僧であり、日本天台宗興隆の一大貢献者である慈覚大師は名を円仁といい延暦十三年(七九四年)の秋ここで誕生された。
生家壬生氏は崇神天皇の第一皇子豊城入彦命の子孫といわれるこの地の名族であった。堂前の古い井戸は大師誕生当時のもので、この井戸の水で産湯を使われたと伝えられている。昔は、この井戸の水は、諸願成就息災延命の利益があると伝えられていた。
今この附近の地名は、手洗窪であるが、昔は盥窪といわれていた所である。
ここより南約一・五キロメートルの山麓に高平寺があり、この寺の文書では、大師が大慈寺に弟子として入る前、九才までこの寺に留り養育されたといわれ、今も「大師行の井」「面相智水」等の旧跡あり、寺宝として大師自筆の童形絵僧が所蔵されている。またここより北約三キロメートルの所に大師母公の居住されたと伝えられる実相院跡がある。(岩舟町教育委員会掲示より)


誕生寺の周辺図


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