徳正寺。栃木県足利市本城にある浄土宗寺院

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行基山徳正寺。行基菩薩創建の伝承

徳正寺の概要

浄土宗寺院の徳正寺は、行基山福智院と号します。徳正寺の創建年代等は不詳ながら、行基菩薩が天平3年(731)に創建、行基堂と称していたと伝えられます。後年火災の為に当地へ移転したと伝えられ、第七十九世寂辨和尚が文政年間(1818-1831)に本堂を大修繕したといいます。

徳正寺
徳正寺の概要
山号 行基山
院号 福智院
寺号 徳正寺
本尊 -
住所 足利市本城3-2090
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



徳正寺の縁起

徳正寺の創建年代等は不詳ながら、行基菩薩が天平3年(731)に創建、行基堂と称していたと伝えられます。後年火災の為に当地へ移転したと伝えられ、第七十九世寂辨和尚が文政年間(1818-1831)に本堂を大修繕したといいます。

「足利市史」による徳正寺の縁起

徳正寺(浄土宗)
一位置
本市本城三丁目に在り。行基山福智院徳正寺と號す。本尊は、阿彌陀如来。現住は、采澤良晁、檀徒八十五戸あり。
二沿革
再三火災に罹り、創建に就きて、正確の記録なし。傳説によれは、聖武天皇の天平三年(紀元一三九一年)、行基菩薩、六十二歳の時の開創(最勝寺参照)にして、往古は「行基堂」と稱し、寺背の高處、行基平と稱する地點にあり。御堂には、虚空蔵ありて、菩薩の自作と傳へ、靈驗顕著なりといふ。今虚空蔵として、境内に之を祀る。後世火災の爲、現在の地に移したるなりといふも、其の年代未詳なり。仁孝天皇の文政年間(紀元二四七八-八九年)、第七十九世寂辨和尚、本堂に大修繕を施して、現今に及ぶ。庫裏は大正二年の改築なり。
三什寶
虚空蔵菩薩坐像一體あり、丈一尺二寸木像。行基菩薩の作と傳ふるものなり。
四墓碑
境内一町一段餘、庭に櫻の老樹あり、世に知らる。境内に勤王の士贈從五位鈴木千里及び鈴木三郎父子の墓碑あり。(「足利市史」より)


徳正寺の周辺図


参考資料

  • 「足利市史」