萬壽寺。大分県大分市金池町にある臨済宗妙心寺派寺院

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蒋山萬壽寺。大友氏五代貞親創建、竹中重興中興、臨済宗の僧堂

萬壽寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の萬壽寺は、蒋山と号します。萬壽寺は、嵯峨天皇の御宇(809-823)に蒋ヶ池に投身した、国司百合若大臣の愛姫萬壽姫の冥福を祈る為に建立したと伝えられ、山号寺号の由来となっているといいます。徳治元年(1306)大友氏五代貞親が博多承天寺の直翁智侃禅師を迎え、臨済宗寺院として開山、「寺領千餘貫、界分東西二百三十歩、南北三百六十歩」、五十四ヶ院を有し、境内十景を有した広壮な大寺でしたが、大友宗麟の怒りを蒙り元亀元年(1570)焼失、島津家久の侵略に際しても天正15年(1587)焼失してしましました。寛永元年(1624)に入り丹山禅師が再興を図り、寛永8年(1631)城主竹中采女正重興が当地に再興したといいます。臨済宗の僧堂です。

萬壽寺
萬壽寺の概要
山号 蒋山
院号 -
寺号 萬壽寺
住所 大分市金池町5-4-2
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



萬壽寺の縁起

萬壽寺は、嵯峨天皇の御宇(809-823)に蒋ヶ池に投身した、国司百合若大臣の愛姫萬壽姫の冥福を祈る為に建立したと伝えられ、山号寺号の由来となっているといいます。徳治元年(1306)大友氏五代貞親が博多承天寺の直翁智侃禅師を迎え、臨済宗寺院として開山、「寺領千餘貫、界分東西二百三十歩、南北三百六十歩」、五十四ヶ院を有し、境内十景を有した広壮な大寺でしたが、大友宗麟の怒りを蒙り元亀元年(1570)焼失、島津家久の侵略に際しても天正15年(1587)焼失してしましました。寛永元年(1624)に入り丹山禅師が再興を図り、寛永8年(1631)城主竹中采女正重興が当地に再興したといいます。

「大分市史」による萬壽寺の縁起

東新町にあり、もと今の元町の東北(大友時代の府内圖を参照)にありたるが寛永以後現在の位置に再建したり、境内は釋迦堂(行基菩薩作、大雄院殿額、月桂寺鐡帚和尚筆)輪經蔵(雲廣蔵額、支那僧道本筆)山門、鐘樓、禅室、總門(蒋山額、元の趙子昴筆)本堂、等にて、開基及び、もと何宗に屬せしか詳ならず縁起には嵯峨天皇の御宇當國の國司百合若大臣、其寵妃の身替となりて蒋ヶ池に投身したる萬壽姫の冥福を禱る爲に建立したるものとして寺院號の因由を載せたり(大臣塚の項を参照)、されど其の由来を考證的に觀察すれば、年代位置、人物等妄誕無稽の事多く、嵯峨の朝にかかる寺の果して創められたるやも疑問なり、されば當寺の創始は嘉元三乙巳年(後二條天皇の朝、鎌倉将軍久明親王、執権北條師寺の時代、紀元千九百六十五年)豊後守護職大友五代貞親なりと定むるを適當なる見解なりと謂ふべし、貞觀の當寺を創始せんとしたる動機は第一編大友貞親の條に詳記したり、徳治元年、貞親筑前國博多承天寺直翁智侃禅師を謂じて開山とし夥多の寺領を寄附し、當時の境内方八丁に亘れる大伽藍にして、寺境の四隣十景の勝區を有せしと云ふ。
萬壽寺の舊址は今の坊ヶ小路の南約五丁餘にありて、當時の輪蔵の址に寶永三年に建てたる石碑あり、碑銘に曰「豊之後州大分郡蒋山萬壽聖禅寺之古道場也、昔時寺領千餘貫、界分東西二百三十歩、南北三百六十歩之内有大殿、山門、法堂、東丑之方、〇僧堂、輪蔵鐘樓四閣、開山塔、十門之塔、院五十四院、諸寮諸宝諸堂多、現存者輪蔵之遺跡、廣八十歩也」云々、所謂十景とは、
一、霄雲橋(或云青雲橋)
二、文殊刹
三、三生石(寺内に三股の石あり)
四、豊嶺鐘(或云豊榮鐘)
五、萬年松(寺中の松林)
六、白蓮池(或は支院瑞光寺の池とも云ひ、現時元町の北入口に近く遺れり。)
七、七歩橋(現時坊浩二東對岸の七歩と云ふ地是なり、)
八、清客壇(或云清容檀)
九、上原茗(六坊の上野ヶ丘の茶園を云)
一〇、鬼氏爐(元の千手堂町(今の元町)にあり其記事参照)
元亀元年大友宗麟の近習工藤帯刀、臼杵丹生島城内に於て罪を犯して此寺に潜伏するや宗麟之を知りて、大に怒り家臣橋本五右衛門、清田因幡に從卒二百餘人を典へ往て焼棄せしむ。
九州記曰、(中略)
國志には永禄中田原紹忍の焼きたることとせり、永禄は元亀の前年號にして十二年間續きたり、十二三年会いあに再び焼棄せしにか事實疑問なり。
其後天正十五年十二月、島津家久兵を率ひて豊府を陥れ諸所の神社佛閣に放火し悉く烏有に歸せしめたる時、當寺も亦其禍に罹り、法堂、方丈、庫裡、鐘樓八十六間の廻廊、五千餘巻の經文行基上人の彫刻せる丈六釋迦牟尼佛等悉く灰燼となりたりと、往時の盛觀想ふべきなり、天平の末より慶長中に至る三十餘年間は殆んど廢滅に歸したるが寛永元年に至り開山十五世の孫丹山禅師来りて再興を圖り、同八年城主竹中采女正重興之を補け、寺院を再建して丹山を中興の祖と稱し、禅宗京都妙心寺派に屬したり。
最要記云、(中略)(「大分市史」より)


萬壽寺の周辺図


参考資料

  • 「大分市史」(大分縣大分市役所)