光台寺。岩手県盛岡市名須川町にある浄土宗寺院

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衆宝山光台寺。岩手県盛岡市名須川町にある浄土宗寺院

光台寺の概要

浄土宗寺院の光台寺は、衆宝山法性院と号します。光台寺は、山形県東根町光台寺の導蓮社良心故関大和尚(慶長9年1604年寂)が、天正元年(1573)盛岡に創建したといいます。

光台寺
光台寺の概要
山号 衆宝山
院号 法性院
寺号 光台寺
住所 盛岡市名須川町8-4
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



光台寺の縁起

光台寺は、山形県東根町光台寺の導蓮社良心故関大和尚(慶長9年1604年寂)が、天正元年(1573)盛岡に創建したといいます。

「盛岡の寺院」による光台寺の縁起

羽前国(現山形県)北村山郡東根町光台寺住僧、導蓮社良心故関大和尚(慶長九年一月五日遷化)が天正元年(一五七三)二月、盛岡に移錫、念仏弘通、不来方城内に一宇を創立し、山号を写して、衆宝山・法性院・光台寺と称す。福島県いわき市、名越派(現在は消滅し、浄土宗に統括)本山、専称寺の末寺である。
天正十九年(一五九一)蒲生氏郷は豊臣秀吉の命によって、二戸郡福岡の九戸城にたてこもる九戸政実を討つべく南部信直、利直(盛岡築城、南部二十七代藩主)の父子に援兵を送り、難攻不落の九戸城を攻め滅ぼした。この縁により於武(蒲生氏郷の養妹、源秀院殿)と利直との婚約の儀が定まり、文禄三年(一五九四)三月、お輿入れ成る。(「盛岡の寺院」より)


光台寺所蔵の文化財

  • 光台寺の阿弥陀如来立像(盛岡市指定有形文化財)
  • 六曲一隻盛岡城下絵屏風(盛岡市指定有形文化財)

光台寺の阿弥陀如来立像

この像は、盛岡市内では珍しい平安期の藤原様式による古仏で、蓮台の上に立つ。通肩の衣装に見られる衣紋は、彫りの深い美しい波で表現された優作である。
上品下生(右腕をひじで曲げて立て、左腕を下げて両手共に親指と人差し指で輪をつくる)の来迎印を結んだ桧の寄木造、漆箔像(漆の上に金箔をつけた像)で、高さは九十七、五センチメートルである。
天文二十四年(一五五五)と寛永十五年(一六三八)修理の胎内銘墨書等の記録もあり、極めて貴重な文化財である。(境内掲示より)

六曲一隻盛岡城下絵屏風

この盛岡城下絵屏風は紙本淡彩六曲仕立てのもので、本来は一双(対をなす)の屏風であったと思われるが、現在は一隻(対の片方)のみが伝えられており、作者は不明である。
大きさは縦一七三.〇センチメートル、横三六七.五センチメートルで、盛岡城下の河南地区の情景を主としたもので、城を左一曲目に大きく描き、舟橋が三曲から四曲にかけて描写されている。絵にある寺院名から、文化年間(一八〇四~一八一八)に制作されたものと推定され、貴重な文化財である。(盛岡市教育委員会掲示より)

光台寺の周辺図


参考資料

  • 「盛岡の寺院」(盛岡市仏教会)