福泉寺。兵庫県赤穂市加里屋にある日蓮宗寺院

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福泉寺。兵庫県赤穂市加里屋にある日蓮宗寺院

福泉寺の概要

日蓮宗寺院の福泉寺は、長遠山と号します。福泉寺の創建年代等は不詳ながら、寛文5年(1665)に日進上人が開山、赤穂藩主浅野長直の家臣大石頼母より寺地を受領、浅野藩・森藩家中より檀信徒を擁していたものの、明治維新後は檀家の没落と共に当寺も荒廃、当寺31世により復興したといいます。

福泉寺
福泉寺の概要
山号 長遠山
院号 -
寺号 福泉寺
本尊 釈迦如来像
住所 赤穂市加里屋86−11
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



福泉寺の縁起

福泉寺の創建年代等は不詳ながら、寛文5年(1665)に日進上人が開山、赤穂藩主浅野長直の家臣大石頼母より寺地を受領、浅野藩・森藩家中より檀信徒を擁していたものの、明治維新後は檀家の没落と共に当寺も荒廃、当寺31世により復興したといいます。

境内掲示による福泉寺の縁起

長遠山福泉寺
長遠山福泉寺は徳川四代将軍家綱の寛文五年(一六六五年)日進上人の開かれたものです。今を遡ること三二九年の昔播州赤穂は時に浅野長直公の治世下にて長直公崇佛の念厚く本法弘傳の道場を創建す。愛臣家老大石頼母之助良重をして土地を与えその広さ東西三六間南北三三間(約一一〇〇坪)の土地に福泉寺を創建頼母の力大きからしむ。徐々に堂宇境内地整備し赤穂藩の家中藩士多く檀徒になられる。
江戸城の刃傷后森長直公備中より赤穂城に入り家中藩士檀徒となる。現存せる檀中の殆どその末裔にして三百余の墓碑も当時のもので明治維新に士分も扶持も離れ離散するも開基上人より代を重ねて三十一代三二九年の法灯掲げ殊に三十世穴田上人は荒廃する本堂墓地を見るに再建の志も諸般の情勢から策を見ず遷化されました。直後千載一遇の桟を得て檀信徒有縁関係者各位のご支援を戴き筆を盡しがたき墓地工事本堂諸堂宇再建の浄業を完成させ積年の念願を成就し得る。(境内石碑より)


福泉寺の周辺図