伊和都比売神社。赤穂市御崎の神社

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伊和都比売神社。赤穂市御崎の神社

伊和都比売神社の概要

伊和都比売神社は、赤穂市御崎にある神社です。伊和都比売神社の創建年代等は不詳ながら、延喜式神名帳に記載される式内社です。もとは海上の八畳岩に祀られていたものを、天和3年に浅野内匠頭長矩が当地へ遷座、赤穂城を明け渡した大石内蔵助も妻子をここから送り出し、内蔵助自身も旅立ちに際して御崎に聳え立つ老松を見返りつつ、名残りを惜しんだと伝えられます。明治維新後には、東郷平八郎元帥を始め海軍勇士の崇敬を受け、また姫神信仰が盛んで縁結びとしても著名だと言います。

伊和都比売神社
伊和都比売神社の概要
社号 伊和都比売神社
祭神 伊和都比賣大神
相殿 -
境内社 金比羅宮、恵比須神社
祭日 -
住所 赤穂市御崎1
備考 -



伊和都比売神社の由緒

伊和都比売神社の創建年代等は不詳ながら、延喜式神名帳に記載される式内社です。もとは海上の八畳岩に祀られていたものを、天和3年に浅野内匠頭長矩が当地へ遷座、赤穂城を明け渡した大石内蔵助も妻子をここから送り出し、内蔵助自身も旅立ちに際して御崎に聳え立つ老松を見返りつつ、名残りを惜しんだと伝えられます。明治維新後には、東郷平八郎元帥を始め海軍勇士の崇敬を受け、また姫神信仰が盛んで縁結びとしても著名だと言います。

境内掲示による伊和都比売神社の由緒

延喜式内社伊和都比売神社由緒
当社は今を去る一千年前平安期の延喜式神名帳にその名を記載する古社で伊和都比売大神をお祀りしてある。当時から朝廷を始め国司の格別の尊崇をうけたお社である、伊和都比売大社はもともと伊勢外宮の豊受比売とも云われ、又播磨国一宮の伊和大神即ち大穴牟遅神の比売神とも云われ古くから御崎明神と称せられた赤穂民族の祖神である。
もとは、大園という前方海上の八丁岩の上にお祀りしてあったのを、天和三年浅野内匠顕長矩が現在の地にお移したもので、「播磨なる御崎の石だたみ海の底まで行くぞ見る」と歌われているように奇岩の上に老松が舞い岩礁の地である。
かつては日本海海戦の勇将東郷平八郎元帥を始め歴代連合艦隊司令長官の崇敬厚くしばしば艦隊を率いて帝国海軍の勇士が参拝し、現在でも船員漁師など航海安全と大漁祈願はあとをたたず遠近からの信仰は盛んである。なお特に珍しいのは古くから恭き男女による姫神信仰が盛んで縁結び或いは恋人を得るにご利益のある「姫守」をうける人が多く御崎の景色と共に近時有名である。(境内掲示より)

「赤穂義士史跡めぐり」による伊和都比売神社の由緒

伊和都比売神社
伊和都比売大神をまつるこの神社は、赤穂市内ではただ一つの延喜式内社(平安時代の神名帳にのっている神社)で大変古くからこの地にまつられていた。
もとは八畳岩にまつられていたが、江戸時代の天和3年(1683)に浅野長矩がここに移したという記録がある。このように大きな岩には神が宿るという信仰があったので、この神社ももと岩神信仰によって祀られたのではないかとも言われている。(「赤穂義士史跡めぐり」より)

「赤穂郡史」による伊和都比売神社の由緒

伊和都比賣神社は新濱村三崎にあり、伊和都比賣を祀る、式内神社(延喜式神名帳に載せられたるもの今を去る凡そ九百九十年前)にして、本郡三社の一なり(「赤穂郡史」より)


伊和都比売神社の周辺図


参考資料

  • 赤穂義士史跡めぐり(財団法人赤穂市文化振興財団刊行)
  • 「赤穂郡史」