光圓寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院

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光圓寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院

光圓寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の光圓寺は、長尾山と号します。光圓寺の創建年代等は不詳ながら、安藝郡牛田村風呂の谷に真言宗寺院として創建、願了の代に蓮如上人の弟子となり浄土真宗に改め、東林坊と号していたといいます。四代浄順の代に毛利氏より長尾山麓に寺地を受領、長尾山と号しています。福島正則の代に当地へ移転、慶長年間に寺号を光圓寺としたといいます。もと佛護寺十二坊の一です。

光圓寺
光圓寺の概要
山号 長尾山
院号 -
寺号 光圓寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 広島市中区寺町5−43
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



光圓寺の縁起

光圓寺の創建年代等は不詳ながら、安藝郡牛田村風呂の谷に真言宗寺院として創建、願了の代に蓮如上人の弟子となり浄土真宗に改め、東林坊と号していたといいます。四代浄順の代に毛利氏より長尾山麓に寺地を受領、長尾山と号しています。福島正則の代に当地へ移転、慶長年間に寺号を光圓寺としたといいます。もと佛護寺十二坊の一です。

「廣島市史社寺史」による光圓寺の縁起

光圓寺[もと佛護寺十二坊の一]
光圓寺は長尾山と號す、寺町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、往古は安藝郡牛田村風呂の谷に在りて眞言宗なりしが、初代願了は本願寺蓮如上人の弟子となり、遂に改宗す、初め本願寺と稱せしが、後ち東林坊と改む、四代浄順の時、毛利氏より明星院村太歳原(一に太宰原に作る、今の饒津神社境内天満宮の邊をいふ)に於て、寺地を賜はり之に移轉す、其地は長尾山麓に在りしを以て、長尾山と號す、後ち福島氏の時に至り、今の地域に移り、尋で(慶長年間)寺號を光圓寺と改む、安政四年に本門を再建し、明治十六年に本堂を再建せしが、同四十二年二月九日罹災せしを以て、後皆實町に假本堂を建立す、同三十四年四月梵鐘(無銘)を新鑄し、同四十一年十七代朗善の時、経蔵(二間四面)を新建せり、大正四年九月寺町の舊地に本堂を再建し、同六年六月本堂落成し、皆實町より之に歸復す。(「廣島市史社寺史」より)


光圓寺の周辺図


参考資料

  • 「廣島市史社寺史」