金龍寺。広島県広島市中区にある臨済宗妙心寺派寺院

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金龍寺。広島県広島市中区にある臨済宗妙心寺派寺院

金龍寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の金龍寺は、寶珠山と号します。金龍寺は、今中将監(金龍院殿生岳道休居士)が開基となり、桂雲が紀伊に開山、淺野但馬守長晟の安芸移封に伴い安芸へ随行、大法寺の跡地に今中将監の長子兵庫が堂塔を建立して再建、明和9年(1772)には開山百五十年遠忌にあたり京都天龍寺靈源和尚を招請したといいます。当地は爆心地から940mほどの地ながら、当寺のクロガネモチは焼死せず「不死身の被爆樹木」として著名です。広島新四国八十八ヶ所霊場第70番、安藝西国札所第17番です。

金龍寺
金龍寺の概要
山号 寶珠山
院号 -
寺号 金龍寺
本尊 -
住所 広島市中区小町9−37
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



金龍寺の縁起

金龍寺は、今中将監(金龍院殿生岳道休居士)が開基となり、桂雲が紀伊に開山、淺野但馬守長晟の安芸移封に伴い安芸へ随行、大法寺の跡地に今中将監の長子兵庫が堂塔を建立して再建、明和9年(1772)には開山百五十年遠忌にあたり京都天龍寺靈源和尚を招請したといいます。

「廣島縣史」による金龍寺の縁起

金龍寺
寶珠山
元和五年紀州若山金龍寺桂雲、淺野氏に随ひ来り、大法寺の廢跡を起し、改めて金龍寺と稱す。(明暦中の地圖に當寺は杉木小路突當り東側にあり。)大正七年五月、豊田郡川源村大字鍛冶屋日光寺を、當寺へ合併す。(「廣島縣史」より)

「廣島市史社寺史」による金龍寺の縁起

金龍寺
金龍寺は寶珠山と號す、宗派・本寺とも禅林寺に同じ(臨済宗にして、京都妙心寺の末寺)、新川場町禅林寺の北隣に在り、本尊は釋迦如来なり、もとは紀伊國に在りて、開山を桂雲と云ふ、今中将監(今中権六氏の祖先)の開基する所なり、其法名を金龍院殿生岳道休居士と稱す、依りて院號を以て寺の名と爲せり、後り開山桂雲は淺野但馬守長晟に随ひて當地に来り、大法寺に住す、同寺の草創は詳ならずと雖も、毛利氏長門に移封の後ち廢寺たりしを、福島氏の時、僧尺室に與へ、寺領百二十石餘を附せらる、福島正則配流のとき、尺室も亦退院して、其法弟たりし興禅寺開山雲嶺に之を譲り、雲嶺は兩寺を所管せしが、桂雲の来るに及び之に居らしむ、後ち今中将監の長子兵庫、新に堂塔を營み、大法寺を改めて今の名となせり、當時の寺地は國泰寺東(今の縣立高等女學校の敷地の内)にありしが、後ち堂塔焼失し、兵庫又今の地に再建せり、九世方州の時、明和九年夏季三ヶ月間京都天龍寺靈源和尚を招請して、開山百五十年遠忌を修し、諸國雲水の僧五百餘人を饗待せりと云ふ、(「廣島市史社寺史」より)


金龍寺の周辺図


参考資料

  • 「廣島縣史」