浄専寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院

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浄専寺。広島県広島市中区にある浄土真宗本願寺派寺院

浄専寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の浄専寺は、峯龍山と号します。浄専寺は、本願寺蓮如上人に帰依し随従していた覺超が開基となり、安佐郡金山龍原の丘上に一宇を草創、峯龍山上之坊浄専寺と号したといいます。金山城が落城し武田氏が滅亡後、安佐郡上安村に堂宇を建立、広島開府の天正17年(1589)に、佛護寺と共に廣瀬村に寺地を拝領、慶長14年(1609)当地へ移されたといいます。

浄専寺
浄専寺の概要
山号 峯龍山
院号 -
寺号 浄専寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 広島市中区寺町4−29
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



浄専寺の縁起

浄専寺は、本願寺蓮如上人に帰依し随従していた覺超が開基となり、安佐郡金山龍原の丘上に一宇を草創、峯龍山上之坊浄専寺と号したといいます。金山城が落城し武田氏が滅亡後、安佐郡上安村に堂宇を建立、広島開府の天正17年(1589)に、佛護寺と共に廣瀬村に寺地を拝領、慶長14年(1609)当地へ移されたといいます。

「廣島市史社寺史」による浄専寺の縁起

浄専寺
浄専寺は峯龍山と號し、一に「上の坊」と稱す、寺町光福寺の南隣に在り、本尊は阿彌陀如来なり、開基覺超は本願寺蓮如上人に歸依随従し、後ち佐東郡(今の安佐郡の内)金山龍原の丘上に一宇を草創し、峯龍山・上之坊・浄専寺と號す、金山落城の後ち、所々に移轉し、二代宗祐の時に至り、同郡上安村に堂宇を建立せり、其後り天正十七年廣島開府の時、佛護寺と共に地を廣瀬村に賜はりしが、福島氏時代に至り、慶長十四年替地を今の所に賜はり之に移る、當寺はもと佛護寺の役僧なれば、十二坊の外なり、明治十三年十五代僧駿の時、喚鐘を新鑄し、本堂は明治三十六年の再建にして、庫裡は文政年間の再建にかゝる、(「廣島市史社寺史」より)


浄専寺の周辺図


参考資料

  • 「廣島市史社寺史」