浄光寺。広島県広島市南区にある浄土真宗本願寺派寺院

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浄光寺。広島県広島市南区にある浄土真宗本願寺派寺院

浄光寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の浄光寺は、松源山と号します。浄光寺は、石見国から来た中川源之丞(宗玄)が慶長3年(1598)に開基、明治11年浄圓寺より独立して一寺としたといいます。当寺の山門は、昭和20年の原爆投下に際して、本堂にさえぎられたことから爆風を免れた被爆建物です。

浄光寺
浄光寺の概要
山号 松源山
院号 -
寺号 浄光寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 広島市南区荒神町2−2
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



浄光寺の縁起

浄光寺は、石見国から来た中川源之丞(宗玄)が慶長3年(1598)に開基、明治11年浄圓寺より独立して一寺としたといいます。

「廣島縣史」による浄光寺の縁起

浄光寺
松原山
慶長三年宗玄(石見人中川源之丞)開基、寛永元年より浄光寺といふ、明治十一年九月寺號公稱許可、もと浄圓寺末。(「廣島縣史」より)

「廣島市史社寺史」による浄光寺の縁起

浄光寺
浄光寺は松源山と號す、愛宕町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、開基宗玄は石見國より来り、當寺を創建すと云ふも、後ち數度火災に罹りたれば、舊記烏有に歸し、年暦・縁由等詳ならず、元禄八年京都光隆寺下向の時、山號は地名を用ふべきことを命ぜられ、此地もと松原町といひしより松原山・浄光寺と名つけしが、後ち町名愛宕町と改まりし故、原を源に改めしといふ、享保七年當寺四代貞圓の時、本市吉田町(今の臺屋町)某夫妻(法名教然妙教)願主となり、釣鐘を鑄造す、寛延三年十一月九代了海の時、東派に轉じ、天明四年三月西派に復す、安政六年庫裡を再建し、明治三十三年鐘樓門を新建す、當寺維新前は浄圓寺の末寺にして、寺號を唱ふるを許されず、専ら「道場」とのみ稱せしが、明治十一年九月地方廳に出願し、允許を得て、初めて寺號を公稱するに至れり、(「廣島市史社寺史」より)


浄光寺所蔵の文化財

  • 浄光寺の山門(被爆建物)

浄光寺の山門

この山門は、1690年(元禄3年)ごろに建てられたといわれています。1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市に投下された原爆の強烈な爆風により、山門の南側にあった寺の本堂は倒壊し、その後の火災により焼失しました。荒神町周辺では建物の多くが全壊・全焼し、大きな被害を受けました。本堂にさえぎられたこの山門は、被爆に耐え、焼け野原の中にぽつりと残されていました。
1996年(平成8年)、広島市被爆建物等保存・継承事業により、保存工事が実施され、被爆の惨禍を後世に伝えています。(境内掲示より)

浄光寺の周辺図


参考資料

  • 「廣島縣史」
  • 「廣島市史社寺史」