中区住吉神社。広島県広島市中区の神社

猫の足あとによる首都圏外寺社案内

中区住吉神社。広島県広島市中区の神社

中区住吉神社の概要

中区住吉神社は、広島県広島市中区にある神社です。中区住吉神社は、享保18年(1733)に住吉三神と相殿二神を勧請して創祀、元文3年(1738)には船府一統の守護神として水主の信仰を集めたといいます。寛政10年(1798)の大火後に当地へ遷座、現在は水主町(現加古町)、吉島の氏神社です。

中区住吉神社
中区住吉神社の概要
社号 住吉神社
祭神 表筒男神・中筒男神・底筒男神
相殿 大国主神、事代主神
境内社 -
祭日 6月14・15日(旧暦)
住所 広島市中区住吉町5-10
備考 -



中区住吉神社の由緒

中区住吉神社は、享保18年(1733)に住吉三神と相殿二神を勧請して創祀、元文3年(1738)には船府一統の守護神として水主の信仰を集めたといいます。寛政10年(1798)の大火後に当地へ遷座、現在は水主町(現加古町)、吉島の氏神社です。

境内掲示による中区住吉神社の由緒

当神社は、享保十八年(一七三三)に住吉三神と相殿二神を勧請したのにはじまる。その後元文三年(一七三八)船府一統の守護神となって、社殿・境内が拡張され水主の信仰を集めた。寛政十年(一七九八)水主町(現在の住吉町)に大火があり、その火は当社で鎮火し、時の人は神威の偉大さに驚いた。しかし、社殿が煙によってけがれたとして、翌年六月、現在の地に遷宮された。この日をもって夏の例大祭日とした。(境内掲示より)

「広島縣神社誌」による中区住吉神社の由緒

享保十八年(一七三三)、住吉三神と相殿二神を勧請したのに始まる。その後、元文三年(一七三八)船府一統の守護神となって社殿、境内が拡張され、水主等の信仰を集めた。寛政十年(一七九八)水主町に大火があったが、その火は当社で鎮火し、時の人々は神威の偉大さに驚いた。社殿が煙によって汚れたとして翌十一年六月、現在の地に遷座し、この日をもって夏の例大祭日とした。宝暦年間(一七五一ー六四)頃より空鞘稲生神社の摂社であったが、のちに独立した崇敬社となった。昭和二十一年より水主町(現加古町)、吉島の氏神社となって現在に至る。(「広島縣神社誌」より)

「廣島市史社寺史」による中区住吉神社の由緒

水主町住吉神社
住吉神社は、水主町にあり、境内三百二十四坪(官有地第一種)祭神は表筒男神・中筒男神・底筒男神なり、正殿・祝詞殿・幣殿・拝殿・石鳥居・標縄柱等あり、境内に末社一宇あり、祭神は秋津毘古神・秋津毘賣神・相殿鎮西爲朝靈神なり、(「廣島市史社寺史」より)


中区住吉神社の周辺図


参考資料

  • 「広島縣神社誌」