福佐売神社。廿日市市可愛の神社

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福佐売神社。廿日市市可愛の神社

福佐売神社の概要

福佐売神社は、広島県廿日市市可愛にある神社です。福佐売神社の創建年代等は不詳ながら、「三代実録」貞観14年(872)十二月廿六日条に記載されている「安芸国佐伯郡榎本連福佐売」を祀り創建したものと考えられています。その後縁起が忘れられ、福島明神と称されていたものの、浅野長戀が文化13三年(1816)に榎本連福佐売を祀る古杜であることを明らかにしたことから、福佐売神社としたといいます。

福佐売神社
福佐売神社の概要
社号 福佐売神社
祭神 榎本連福佐売
相殿 -
境内社 稲荷神社、胡子神社
祭日 10月第二日曜日
住所 廿日市市可愛2-20
備考 -



福佐売神社の由緒

福佐売神社の創建年代等は不詳ながら、「三代実録」貞観14年(872)十二月廿六日条に記載されている「安芸国佐伯郡榎本連福佐売」を祀り創建したものと考えられています。その後縁起が忘れられ、福島明神と称されていたものの、浅野長戀が文化13三年(1816)に榎本連福佐売を祀る古杜であることを明らかにしたことから、福佐売神社としたといいます。

「広島縣神社誌」による福佐売神社の由緒

当社は以前、福島神社と称し、祭神名の所伝を失っていたが、文化十三年(一八一六)に白杏公子(浅野長戀)が榎本連福佐売を祀る古杜であることを明らかにした。福佐売は『三代実録』貞観十四年(八七二)十二月二十六日条に「節婦安芸国佐伯郡人榎本連福佐売、叙位二階、免戸内租、表於門閭」と記された実在の人である。社の後ろには古墓があり、福佐売の墓と考えられる。なお、神社の近傍に可愛(河合)川が流れているが、可愛の古訓は榎と同じであり、また、福佐売が転靴して福島となったとする。『芸藩通志』巻百四十八に頼惟柔(杏坪)が撰した「福島社記」を載せる。(「広島縣神社誌」より)

境内掲示による福佐売神社の由緒

福佐売神社縁起
「三代実録」の貞観十四年(八七二)十二月廿六日の条に「節婦安芸国佐伯郡榎本連福佐売、叙位二階免戸内租、表於門閭」とあります。即ち、この土地の人、榎本連福佐売を賞して位階を与え、戸内の租を免除し、その貞節を村の門に表彰したとの記録であります。当時、この善行は、この地、種箟郷の里長から、佐伯の郡司へ、郡司から安芸の国司へ、そして、国司から中央へと伝達され、そして、それにより朝廷から賞され、その記録を中央の正史に留めたのでありますから、正に、佐伯郡稀有のことと言わねばなりません。従って、この栄誉を後世に伝えるべく、恐らく、その旧地に建立されたのが、この福佐売神社の縁起であります。中世、世人はこの縁起を忘れ、俗称、福島明神として祭祀しておりましたが、江戸、文政年間、廣島藩主十世の弟浅野長戀公の下問により、この縁起の次第を下平良村民もあらためて認識するところとなり、再び、福佐売神社として、今日に到っているのであります。王朝華やかであった貞観の昔から今日まで、実に一千一百余年の歳月が流れておりますが、ここに福佐売の功徳を称え、その余光が永遠にこの地の人々に伝えられることを切に願うものであります。
昭和五十九年六月吉日
奉献 廿日市ライオンズクラブ
石田米孝 謹撰(境内掲示より)


福佐売神社の周辺図


参考資料

  • 「広島縣神社誌」