慶山愛宕神社。会津若松市慶山の神社

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慶山愛宕神社。修験者玉泉が勧請、辰巳・午年の守り神

慶山愛宕神社の概要

慶山愛宕神社は、会津若松市慶山にある神社です。慶山愛宕神社は、修験者玉泉が小田の里谷地沼に天応元年(781)愛宕山権現を勧請、時の領主領主佐原直盛が至徳元年(1384)に愛宕町に遷座、天正18年(1590)蒲生氏郷公が当地へ遷座したといいます。神仏分離以前は、金蔵院が別当を勤めており、金蔵院が勢至菩薩像を本尊としていたことから、辰巳、午年の守り神として信仰が厚いといいます。

慶山愛宕神社
慶山愛宕神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 火産霊神、伊邪那美尊、月読命
相殿 -
境内社 太郎坊社、北向稲荷神社、相生神社、子安神社、伊勢宮
祭日 月次祭毎月23、24日
住所 会津若松市慶山2-1-43
備考 旧村社



慶山愛宕神社の由緒

慶山愛宕神社は、修験者玉泉が小田の里谷地沼に天応元年(781)愛宕山権現を勧請、時の領主領主佐原直盛が至徳元年(1384)に愛宕町に遷座、天正18年(1590)蒲生氏郷公が当地へ遷座したといいます。神仏分離以前は、金蔵院が別当を勤めており、金蔵院が勢至菩薩像を本尊としていたことから、辰巳、午年の守り神として信仰が厚いといいます。

境内掲示による慶山愛宕神社の由緒

愛宕山由来記
往昔、会津門田の庄小田の里谷地沼に大蛇すみ人を害する事頗るなり。四十九代光仁天皇天応元年参河国の人にて玉泉と謂う修験者沼の側に愛宕山権現を勧請した。以来、大蛇の害はなかったという。至徳元年、領主佐原直盛社殿を愛宕町に遷座す。天正十八年蒲生氏郷公当所に四方三十間の山を寄付し、愛宕町より遷座した。享保十五年、六世別当順務、現在の社殿を建立した。
祭神:火産霊神、伊邪那美尊、月読命
社宝:
会津住藤原兼友作の宝剣
旧藩時代奉納による商売繁昌祈願の大珠算
勧学祈願の大筆一対
武道成就の千本矢鉄砲標的
がある。
当社は、古来修験者奉仕の神社にて普賢菩薩別当金蔵院が持仏の勢至菩薩を奉斎してあるため辰巳、午年の守り神として信仰あつく、火伏の神、商売繁昌、学問成就の神として、月次祭(毎月二十三、四日)、特に正月二十三、四日は会津一円よりの参詣がある。
且、男二十五才、四十二才、女十九才、三十三才の開運厄祓、六十一才の年祝、七五三詣り、交通安全、安産祈祷に霊験がある。(境内掲示より)

「北会津郡誌」による慶山愛宕神社の由緒

天応元年勧請(「北会津郡誌」より)


慶山愛宕神社の周辺図


参考資料

  • 「北会津郡誌」