一箕町八幡神社。会津若松市一箕町町大字八幡の神社

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一箕町八幡神社。源義家勧請、旧郷社

一箕町八幡神社の概要

一箕町八幡神社は、会津若松市一箕町町大字八幡にある神社です。一箕町八幡神社の創建年代等は不詳ながら、用明天皇代に創建したと伝えられ、源義家が清原武衡征討の凱旋に際して、各軍卒に一箕ノ土を搬入させ丘を築き、その頂上に八幡社を寛治元年(1087)に祀ったといいます。蘆名氏、蒲生氏より社領の寄附を受けたものの、上杉景勝の家臣直江兼続に焼かれ焼失、万延元年(1860)松平容保により再興され、明治維新後には郷社に列格していました。

一箕町八幡神社
一箕町八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 宇気母智神
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭9月19日
住所 会津若松市一箕町町大字八幡53
備考 -



一箕町八幡神社の由緒

一箕町八幡神社の創建年代等は不詳ながら、用明天皇代に創建したと伝えられ、源義家が清原武衡征討の凱旋に際して、各軍卒に一箕ノ土を搬入させ丘を築き、その頂上に八幡社を寛治元年(1087)に祀ったといいます。蘆名氏、蒲生氏より社領の寄附を受けたものの、上杉景勝の家臣直江兼続に焼かれ焼失、万延元年(1860)松平容保により再興され、明治維新後には郷社に列格していました。

「福島県北会津郡誌」による一箕町八幡神社の由緒

八幡神社(式外)
一箕村大字八幡字一箕山ニ鎮座シ品陀別命ヲ祀リ用明天皇ノ御代勧請セシモノナリ其ノ由緒ヲ見ルニ云如左
三十一代 用明天皇御宇滝原山ニ勧請(何人ナルカ不詳滝原山ハ今ノ社域ナリ)寛治元年源義家清原武衡ヲ討チテ凱陣ノ節軍卒役夫ヲシテ人毎ニ一箕ノ土ヲ搬せ丘陵ヲ築ク依テ一箕山ト号ス此処ニ社ヲ建テテ八幡ヲ祀ル。至徳中芦名直盛再興シ社領三百町ヲ寄附ス。天正十八年蒲生氏郷ヨリ秀行ニ至リ社領三百町ヲ寄附ス。慶長三年二月上杉景勝ノ臣直江山城守兼続関東調伏ノ祈願ヲ依頼ス。不応ヲ怒リ宮殿ヲ焼ク。之レニヨリ古文書古器等悉ク失フ。万延元年旧領主松平容保之ヲ再興修理シテ今ニ至ル。毎年四月廿六日大祭ヲ挙行ス。(「福島県北会津郡誌」より)


一箕町八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「福島県北会津郡誌」