心清水八幡神社。河沼郡会津坂下町大字塔寺の神社

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心清水八幡神社。源義家勧請、旧県社

心清水八幡神社の概要

心清水八幡神社は、会津坂下町大字塔寺にある神社です。心清水八幡神社は、源義家が奥州平定に際して天喜3年(1055)に勧請し戦勝を祈願、凱旋に際して天喜5年(1057)社殿を建立、河沼郡の総鎮守としたといいます。保科正之公は領内に置ける神社制度を寛文7年(1667)に定め、社僧を廃止、当社を会津五大社の一として会津大鎮守、当地方三万石の鎮護と祭りました。明治6年(1873)郷社に列格、大正13年(1924)に県社に昇格していました。

心清水八幡神社
心清水八幡神社の概要
社号 心清水八幡神社
祭神 応神天皇、神功皇后、比咩大神
相殿 仲哀天皇、仁徳天皇、武内宿祢命
境内社 -
祭日 例大祭9月19日
住所 会津坂下町大字塔寺松原2850
備考 -



心清水八幡神社の由緒

心清水八幡神社は、源義家が奥州平定に際して天喜3年(1055)に勧請し戦勝を祈願、凱旋に際して天喜5年(1057)社殿を建立、河沼郡の総鎮守としたといいます。保科正之公は領内に置ける神社制度を寛文7年(1667)に定め、社僧を廃止、当社を会津五大社の一として会津大鎮守、当地方三万石の鎮護と祭りました。明治6年(1873)郷社に列格、大正13年(1924)に県社に昇格していました。

境内掲示による心清水八幡神社の由緒

天喜三年(一〇五五年)六月、源頼義、義家公が奥州征伐の時、山城国(京都)石清水八幡を当地に勧請し戦勝を祈った。功成り同五年義家公は社殿を建て、恒例の神事や祭礼を定め河沼郡総鎮守と祭った。以来、旧領主はもとより官民ともに崇敬あつく、社殿は金塗りの美をつくし、神主、社僧の奉仕により、神領に神役を定めたこと現存の宝物によって証することができる。
寛文七年(一六六七年)保科正之公は神社制度を改め、社僧を廃し仏像や仏具を祭らず用いず、古来の唯一神道に復し、会津五大社の一として会津大鎮守、当地方三万石の鎮護と祭った。また社殿の修覆は藩主の寄進と定め、神事祭礼のため当村内に三十石を社領とした。
天保十一年(一八四〇年)十二月、旧社殿炎上し、松平容保公は藩費にて御造営、文久三年(一八六三年)に御遷宮が行われ、本殿(奥の院)は会津盆地を一望の翠山の山上に総欅材で会津藩最後の建造物である。
明治六年(一八七三年)には当郡唯一の郷社に列し、大正十三年(一九二四年)に至り県社に昇格した。また古くより戌、亥歳生れの一代守り神、卯の日が縁日であるから卯歳生れの守り神である。(境内掲示より)


心清水八幡神社の周辺図


参考資料

  • 「福島県北会津郡誌」