豊川稲荷|千代田区神田錦町の神社

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豊川稲荷|昭和23年豊川吒枳尼天を勧請して再建

豊川稲荷の概要

豊川稲荷は、千代田区神田錦町にある稲荷神社です。豊川稲荷の創建年代等は不詳ながら、戦災により昭和19年に社殿焼失、それ以前は豊川稲荷ではなく稲荷が祀られていたと伝えられ、昭和23年三河豊川稲荷の吒枳尼天を勧請して再建したといいます。

豊川稲荷
豊川稲荷の概要
社号 豊川稲荷
祭神 吒枳尼天
相殿 -
境内社 -
住所 千代田区神田錦町2-2
備考 -



豊川稲荷の由緒

豊川稲荷の創建年代等は不詳ながら、戦災により昭和19年に社殿焼失、それ以前は豊川稲荷ではなく稲荷が祀られていたと伝えられ、昭和23年三河豊川稲荷の豊川吒枳尼天を勧請して再建したといいます。

「千代田の稲荷」による豊川稲荷の由緒

神田錦町二丁目に所在する当社の創建・由来など詳細は不明であるが、昭和一九年一一月二九日に戦災のため社殿などが焼失した。それ以前は、豊川稲荷から分霊されたものではなかったが、町会の人々によって祀られていた稲荷社があったと伝えられている。昭和二三年、町内有志によって三州豊川稲荷本山に参拝し、改めて御尊体「豊川吒枳尼天」を分霊して、社殿の再建を果たした。この時に「東京豊川豊珠講」が結成され、当時の記録によれば講員は約三〇〇人であった。講員は、この地域の居住者に限らず区内全般、区外にも存在していた。当時は、毎年一回(五月)は総本山の妙厳寺(愛知県豊川市)に参詣して、毎年二月の初午には赤坂豊川稲荷に詣でるなどという活動であった。また当地は神田神社の氏子地域であり、神田祭の際には、神酒所が設けられている。
当社は、神田錦町二丁目町会と豊珠講が協力して維持され、町会所有の敷地に鎮座してきたが、平成九年に町会が法人化された。それ以降も豊珠講を中心に信仰されてきたが、数年前から講元不在となったため、現在は講としての活動はしておらず、信者は個々で赤坂豊川稲荷に参詣している。しかし、正月や初午の飾りつけなどは町会関係者によって継続され、地域の守護神として人々に広く信仰されている。(「千代田の稲荷」より)


豊川稲荷の周辺図


参考資料

  • 「千代田の稲荷」