豊栄稲荷神社|千代田区麹町の神社

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豊栄稲荷神社|千代田区麹町の神社

豊栄稲荷神社の概要

豊栄稲荷神社は、千代田区麹町にある稲荷神社です。豊栄稲荷神社は、初代遠藤三右衛門が元文年間(1736-1741)に建立したと伝えられ、江戸時代には遠藤家、明治以降には垣見家の屋敷神だったことから、「遠藤稲荷」や「垣見稲荷」と称されていたといいます。明治22年に麹町銀行(後の三菱銀行)が設立された際、垣見家より稲荷杜を含む敷地が提供されたことから、銀行の敷地に稲荷社が置かれて銀行が奉仕、関東大震災後、社殿を再建する際豊栄稲荷大明神と改称、現在も銀行(三菱UFJ銀行)が祭礼の主催に関与しています。

豊栄稲荷神社
豊栄稲荷神社の概要
社号 正一位豊栄稲荷大明神
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 千代田区麹町4-1
備考 -



豊栄稲荷神社の由緒

豊栄稲荷神社は、初代遠藤三右衛門が元文年間(1736-1741)に建立したと伝えられ、江戸時代には遠藤家、明治以降には垣見家の屋敷神だったことから、「遠藤稲荷」や「垣見稲荷」と称されていたといいます。明治22年に麹町銀行(後の三菱銀行)が設立された際、垣見家より稲荷杜を含む敷地が提供されたことから、銀行の敷地に稲荷社が置かれて銀行が奉仕、関東大震災後、社殿を再建する際豊栄稲荷大明神と改称、現在も銀行(三菱UFJ銀行)が祭礼の主催に関与しています。

境内掲示による豊栄稲荷神社の由緒

元文年間(一七三六~一七四一)遠藤三右衛門の建立と伝えられる。
旧称遠藤稲荷又は垣見稲荷
古くは遠藤家が、また明治以降は垣見家でお守りしてきたところからこの名がある。
明治二十二年
麹町銀行(後に三菱銀行)設立のため、垣見家よりお社を含む敷地が提供され、爾来、銀行でお守りする事となった。
大正十二年
震災後再建の際、町内安全商売繁盛を祈って豊栄稲荷大明神と改称。
昭和二十年五月
戦災により焼失。
昭和二十四年二月
町内有志の寄付により再建。
昭和四十四年七月
三菱銀行店舗新築に伴い、新社殿落成。
昭和五十六年十二月
有志の寄付により社殿等改修。
平成六年五月
三菱銀行は社屋建て替えの為、麹町五丁目の仮店舗に移転、その間御神体を日枝神社にお預け。
平成十六年二月
麹町ダイヤモンドビル新築に伴い、豊栄稲荷を地元麹町の繁栄のシンボルとして本社殿を落成。豊栄稲荷講を麹町界隈に住む有志え結成。銀行の支店長が祭主となって毎年祭事が行われている。(境内掲示より)

「千代田の稲荷」による豊栄稲荷神社の由緒

豊栄稲荷神社は倉稲魂命を祭神としており、「正一位豊栄稲荷大明神」の幟をかかげている。その創建は元文年間(一七三六〜一七四一)に遡り、初代遠藤三右衛門の建立と伝えられ、江戸時代には遠藤家、明治以降には垣見家の屋敷神であったことから、「遠藤稲荷」や「垣見稲荷」と称されていたこともある。
明治二二年に「麹町銀行」(後の三菱銀行)設立のため、垣見家より稲荷杜を含む敷地が提供され、これ以降は銀行の敷地に稲荷社が置かれることとなった。
関東大震災後、大正一二年に社殿を再建する際に「豊栄稲荷大明神」と改称する。昭和二〇年五月、戦災により焼失するが、昭和二四年に有志の寄付により再建を果たし、町内安全を願ったことから地域の守護神的な存在となっていった。昭和四四年七月、三菱銀行店舗新築に伴い新社殿完成。次いで昭和五六年には、有志の寄付により杜殿等の改修が行なわれ、平成一六年三一月に麹町ダイヤモンドビル新築に伴い新社殿が完成した。この際、新社殿の台座内部には伝承に基づいて伏見稲荷系の特徴でもある「神狐」の出入りする穴を設けた。
現在、豊栄稲荷神社は三菱東京UFJ銀行の敷地に安置されており、同銀行が維持、初午などの祭礼の主催に関わっている。また平成一六年には豊栄稲荷講(代表・桜井潔氏)が麹町界隈に住む有志で結成され、神社の運営、維持管理に協力してきた。祭礼当日は、日枝神社から神職を招き神事が執行され、講員や麹町の近隣及び銀行関係者などが五〇人前後参列し、神事の後は直会が催されている。(「千代田の稲荷」より)


豊栄稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 「千代田の稲荷」