崖観音大福寺|館山市船形にある真言宗智山派寺院

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船形山大福寺|崖観音・安房国観世音札所第三番

大福寺の概要

真言宗智山派寺院の大福寺は、船形山普門院と号します。大福寺は、僧行基が養老元年(717)に磨崖に十一面観音菩薩を彫刻、仁明天皇の代(833-850)に慈覚大師が寺門を創立したと伝えられます。承応2年(1653年)に火災により堂宇焼失、正徳5年(1715)に再建された観音堂は、「崖の観音」と称されていますが、関東大震災により倒壊、現観音堂は大正14年に再建されたもので、観音像は安房国観世音札所第三番となっています。

大福寺
大福寺の概要
山号 船形山
院号 普門院
寺号 大福寺
住所 館山市船形835
宗派 真言宗智山派
縁日 -
葬儀・墓地 -
備考 -



大福寺の縁起

大福寺は、僧行基が養老元年(717)に磨崖に十一面観音菩薩を彫刻、仁明天皇の代(833-850)に慈覚大師が寺門を創立したと伝えられます。承応2年(1653年)に火災により堂宇焼失、正徳5年(1715)に再建された観音堂は、「崖の観音」と称されていますが、関東大震災により倒壊、現観音堂は大正14年に再建されたもので、観音像は安房国観世音札所第三番となっています。

「館山市史」による大福寺の縁起

当寺は、安房国観世音札所第三番の霊場で、船形山大福寺と号し、鏡ケ浦湾頭にそびえ立っている。『大福寺伝』によると、
本尊十一面観世音菩薩は、人皇四十四代元正天皇養老元年(七一七)に行基東国行化のみぎり、
神人の霊告によって、船形山半腹の巌窟に、間口二間、奥行二間半、高さ一丈を掘りうがって、自然石に、漁民の海上安全と豊漁を祈願して、十一面観音菩薩の立像を彫刻して安置せられた。その後、仁明天皇の代に慈覚が来て、寺門を創立したと伝う。
その後、正徳五年(一七一五)に、住僧頼鑁が堂宇を再興した。その構造は、まことに奇抜で、そびえ立つ断崖を載下し、半庇懸作で、世にこれを崖の観音と呼ぶという。崖の観音堂に立っと、鏡のような波静かな、館山湾を一ぽうに収め、実に、風光明びである。桁下の彫刻十二支は、名工左甚五郎の作と伝えられるが、今はその内、四支が残っているだけである。本坊は、承応二年(一六五三)二月、火災にかかって、朱印状及び伝来の什物等は、ことごとく、焼失した。その後、三十二年経て、頼融の時に、地頭石川六右衛門の特信によって、堂宇を再建し、且、自ら所持の槍一筋を献納して、これが記念とされた
という。今も、その槍は、寺宝として保存されている。その後、時代を経て、明治三十五年、平野明信が住職となると、裏手一帯の竹薮を切り開いて園地を作り、私財を投じて堂宇を修理し、著しく旧観を一新した。ところが、明治四十三年八月一一日夜半、大豪雨とともに、裏山の土石が崩れ落ちて、本堂、園池ともに、一瞬にして壊滅した。幸い住持は、倒壊の梁下にあって、一傷も負わず、九死一生を得た。住持明信は、これひとえに、十一面観世音菩薩の加護の賜と感激し、発奮して再建を志し、大正三年十一月伽藍が完成した。ところが、まだ十年もたたない内に、大正十二年の関東大震災に遭遇して、諸堂宇は潰滅し、これまでの努力も水泡に帰した。しかし、住僧明信は、再度奮起して、堂字の復興に着手し、大正十四年四月、まず、観音堂を復興し、続いて、昭和元年、庫裡を建造し、翌年本堂を再建して、ここに宿年の素願を達成した。今や堂宇並びに、園池も完成し、倍旧の美観をなし、訪れる人々の目を楽しませる。なお、当寺は、現在、安房国観音札所の霊場として、また、観光地として知られている。
寺宝
一十一面観音菩薩(石像)一躰(市指定文化財)
一木彫不動明王一躰
一槍一筋(「館山市史」より)

境内掲示による大福寺の縁起

崖観音(大福寺)の縁起
崖観音で知られるこの寺は、普門院船形山大福寺と称し、真言宗智山派に属する寺院です。
境内の船形山の中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれ、地元民や近隣の人達から信心され参拝されています。
この観音堂の本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石二重一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が建設されたと言われています。江戸時代になり承応2年(1653年)2月に観音堂が火災にあい、朱印・什宝・伝記等すべて失いました。正徳5年(1715年)には観音堂が再建され、朱印も復旧されましたが、明治43年の大豪雨により土砂崩れにあい本堂・庭園とも倒壊してしまいました。さらに大正12年の大震災で観音堂。本堂が倒壊し現存の御堂は大正14年に、本堂は昭和元年に建てられ現在に至っています。(境内掲示より)


大福寺所蔵の文化財

  • 磨崖十一面観音立像(市指定文化財)

磨崖十一面観音立像

本尊は、観音堂内陣の自然の崖に刻まれた十一面観音立像です。像高は131cmで、舟形の光背を背に、二重蓮華座の上に立っています。頭の上には一列に菩薩面が刻まれ、その6面と頭頂の仏面が残されています。摩耗が激しく、目鼻口などが失われているため、残念ながらその表情はわかりません。しかし左手に水を入れる水瓶を持つ様子や、像の左肩から右脇腹にかけた斜めに垂らす細長い布である条帛、腰から下に巻く裳、さらに膝のあたりに二条の天衣が、表現されていることがわかります。膝の下に紐状の太いひだをつくり、腰の幅を広くしたスタイルから、平安時代中頃の様式ではないかと推測できますが、全体の傷みがひどいため製作年代を確定することはできません。(境内掲示より)

船形山大福寺の周辺図