甚大寺|佐倉市新町にある天台宗寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

安城山甚大寺|佐倉七福神の毘沙門天

甚大寺の概要

佐倉市新町にある天台宗寺院の甚大寺は、安城山不矜院と号します。甚大寺は、寛永寺などを創建した慈眼大師天海僧正が元和元年(1615)山形城下に創建、山形城主伊豆守堀田正虎公が開基となり元禄14年(1701)に中興、堀田相模守正亮公の佐倉転封に際して、当寺も当地へ移転したといいます。本堂は明治初年に焼失後、昭和36年に滑川龍正院から移築したもので享保11年(1726)の建造物だといいます。佐倉七福神の毘沙門天です。

甚大寺
甚大寺の概要
山号 安城山
院号 不矜院
寺号 甚大寺
住所 佐倉市新町78-1
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



甚大寺の縁起

甚大寺は、寛永寺などを創建した慈眼大師天海僧正が元和元年(1615)山形城下に創建、山形城主伊豆守堀田正虎公が開基となり元禄14年(1701)に中興、堀田相模守正亮公の佐倉転封に際して、当寺も当地へ移転したといいます。本堂は明治初年に焼失後、昭和36年に滑川龍正院から移築したもので享保11年(1726)の建造物だといいます。佐倉七福神の毘沙門天です。

「印旛郡誌」による甚大寺の縁起

甚大寺
新町字仲町北側に在り天臺宗にして延暦寺末なり不動明王を本尊とす元禄十四年出羽國山形城主伊豆守堀田正虎の創建する所なり延享四年堀田正寮を下總佐倉に移さるるや寺も亦此に移す秀鏡法印を開基とす寺域中佐倉城主故堀田正睦正倫の墓あり本堂庫裡兼用建物間口四間八勺三寸奥行八間境内一千三百三十八坪(官有地第四種)あり檀徒一人管轄廳まで四里三十二町とす境内佛堂一宇あり即
一、護摩堂。十一面観世音を本尊とす由緒不詳建物間口五間奥行三間五分(寺院明細帳)
〇(新撰佐倉風土記云)在佐倉新町舊城主堀田侯之香華所也有故城主紀正睦朝臣及養母松平氏之墓(「印旛郡誌」より)

佐倉市掲示による甚大寺の縁起

安城山不矜院甚大寺は、元和元年(一六一五)慈眼大師天海僧正が、天台宗比叡山延暦寺の末寺として山形城下に建立された寺である。
元禄十四年(一七〇一)に山形城主であった伊豆守正虎公(佐倉堀田家三代)が開基となり、当山十二世秀鏡法印が中興した。しかし、延享三年(一七四六)堀田相模守正亮公(五代)が、佐倉城主として天封されるに際し、同年八月、現在の地に移したものである。
安置されている本尊、十一面観世音菩薩(市指定文化財)は、堀田正倫公(十代)の御念持仏で、わが国彫金界の泰斗である佐倉出身の津田信夫の作である。
また、金毘羅尊は、堀田相模守正順公(六代)が天下泰平、万民豊楽を祈り、城内の守護仏として、四国象頭山より勧請したものである。現在、毎月十日は金毘羅尊の縁日として近隣町村からの参詣者を迎えている。
大伽藍を容した旧本堂は、明治初期の大火で焼失したが、現在の本堂は坂東二十八番札所滑川龍正院の建物を昭和三十六年に移築したもので、享保十一年(一七二六)六月、当時下総の国を挙げて建立されたものである。
境内奥には、堀田家累代の廟が静かにたたずんでいる(佐倉市掲示より)


甚大寺所蔵の文化財

  • 十一面観世音菩薩(市指定文化財)
  • 堀田正睦公墓所

甚大寺の周辺図