臼井八幡社|佐倉市八幡台の神社

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臼井八幡社|臼井の総鎮守として臼井六郎興胤が勧請

臼井八幡社の概要

臼井八幡社は、佐倉市八幡台にある神社です。臼井八幡社は、(臼井氏中興の祖)臼井六郎興胤が、足利尊氏に従い各地を転戦、多々良浜の戦に際して宇佐八幡宮に祈願して戦勝を果たせたことから、臼井の旧領を回復した暦応元年(1338)領内の総鎮守として創建したといいます。江戸期には臼井・臼井台・臼井田町の鎮守として祀られ、領主川口宗重より寛永17年(1640)より社領8石5斗の寄進を受けていました。明治維新後の社格制定に際し明治9年郷社に列格していました。

八幡社
臼井八幡社の概要
社号 八幡社
祭神 譽田別命
相殿 -
境内社 -
例祭日 9月15日
住所 佐倉市八幡台2-1-1
備考 -



臼井八幡社の由緒

臼井八幡社は、(臼井氏中興の祖)臼井六郎興胤が、足利尊氏に従い各地を転戦、多々良浜の戦に際して宇佐八幡宮に祈願して戦勝を果たせたことから、臼井の旧領を回復した暦応元年(1338)領内の総鎮守として創建したといいます。江戸期には臼井・臼井台・臼井田町の鎮守として祀られ、領主川口宗重より寛永17年(1640)より社領8石5斗の寄進を受けていました。明治維新後の社格制定に際し明治9年郷社に列格していました。

境内掲示による臼井八幡社の由緒

臼井総鎮守八幡社
字を八幡台と称し誉田別命(応仁天皇)を御祭神として、奉祀された当地草創の神社であります。
臼井城主中興の祖興胤公が、足利尊氏に随って筑前の国(今の福岡県)多々良浜で戦った折、宇佐八幡に祈り菊地武俊の軍を破り還りて臼井に至り、暦応元年(一三三八年)八月十五日領内の総鎮守として、この地に祀られる。
本殿左の大樟は、興胤公の手植といわれ文久元年(一一五年前)枯損し、今は御神木として保存されております。
寛永十七年(一六四〇年)臼井村地頭川口宗重が、八石五斗を寄進され、永久祭祀の資に供される。
御祭神の御事跡に依り、文教・殖産・農業守護の神として、近郷の信仰をあつめております。(境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による臼井八幡社の由緒

臼井氏中興の祖興胤公が、暦応元年(一三三八)八月一五日、領内の総鎮守として当地に祀られたという。興胤公が足利尊氏に随って筑前の多々良浜で戦い、字佐八幡を念じて力戦し、菊地武敏の軍を破り臼井に帰還した折のことという。寛永一七年(一六四〇)臼井地頭川口宗重が八石五斗を寄進され、永久祭祀の資に供される。御祭神の御事蹟により文教・殖産興業・農業守護の神として近郷の信伸をあつめている。(「千葉県神社名鑑」より)

「稿本千葉縣誌」による臼井八幡社の由緒

八幡社
同郡同上(舊印旛郡)臼井町大字臼井台字薹畑にあり、敬愛八百廿九坪、譽田別命を祀る、社傳に云ふ、臼井六郎興胤足利尊氏に從ひ菊地氏と筑前鞆濱に戰ふに際し戰捷を宇佐八幡宮に祈り、凱旋後其の神を此處に勧請す、實に暦應年中なりと。明治九年二月郷社に列せらる、古来舊臼井村・同臺町・同田町の鎮守たり、境内に巨大の樟樹あり、周圍三丈許、四枝を生じて頗る奇觀なり。(明治三十九年十二月幣帛料供進指定)(「稿本千葉縣誌」より)


臼井八幡社の周辺図


参考資料

  • 千葉県神社名鑑
  • 「印旛郡誌」
  • 「稿本千葉縣誌」