常與寺|流山市流山にある日蓮宗寺院

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梅本山常與寺|流山の須藤氏が開基

常與寺の概要

日蓮宗寺院の常與寺は、梅本山と号します。常與寺は、松本坊日念が嘉暦元年(1326)に開山、その後廃址となっていたものを梅本坊日信が天文24年(1555)に梅本坊と号したといいます。寛永13年(1636)には、流山の須藤氏が開基となり当地に再興、梅本山常与寺と号しています。当寺の紙本著色日蓮上人像は、須藤喜平治氏が寄進したもので、流山市有形文化財に指定されています。

常與寺
常與寺の概要
山号 梅本山
院号 -
寺号 常與寺
住所 流山市流山2-1301
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



常與寺の縁起

常與寺は、松本坊日念が嘉暦元年(1326)に開山、その後廃址となっていたものを梅本坊日信が天文24年(1555)に梅本坊と号したといいます。寛永13年(1636)には、流山の須藤氏が開基となり当地に再興、梅本山常与寺と号しています。

「流山市史・近代資料編」による常與寺の縁起

常與寺
當寺は流山根郷の稍北方東側、部長派出所の裏にあり、この派出所と理髪店との間より入れば、銀杏の大樹本堂の前に聳え、山號を梅本山といふ、本尊は日蓮大菩薩、日蓮宗にして今を去る六百〇二年前即ち嘉暦元年、松本坊日念上人開山せられ建武元甲戌正月二十七日入寂、中興蓮授院日遊上人、現住職二十一世にして聞修院日性上人といふ、齢八十有餘、本堂間口六間、奥行五間、庫裏間口七間、奥行五間、境内一段五畝二十九歩、境外一町歩の宅地を有す。(「流山市史・近代資料編」より)

「日蓮宗寺院大鑑」による常與寺の縁起

(大観には嘉暦元(1326)年8月の創立。開山宗祖法孫松本坊日念。開基須藤半右衛門。初め下総葛飾の邑(流山町馬場の地)に一庵を結んだ。日念の寂後200余年、天文24(1555)年に梅本坊日信は、その遺風を慕って廃址を補修し、梅本坊を建てて弘法寺末となった。慶長5年、陸州の動乱のために坊を同郡篠籠田の山陰(今の法華蘭塔の地)に移す。後、また同郡根戸邑(今の法華坊跡)に転じ、寛永13(1636)年には、流山の須藤氏が開基となり現在地に再興した。寺号は須藤氏夫妻の法号に依る。寺宝に宗祖弘安元年3月17日の御本尊あり、とある。)(「日蓮宗寺院大鑑」より)


常與寺所蔵の文化財

  • 紙本著色日蓮上人像

紙本著色日蓮上人像

金箔地に、上段に「南無妙法蓮華経」のひげ題目、下段に日蓮上人像を描く。日蓮上人(一二二二~一二八二)は、日蓮宗をおこし、南無妙法蓮華経の題目を唱えることによって、仏の救いにあずかることができると説いた。
箱書きから、宝暦七年(一七五七)唯心院妙持信女のため須藤喜平治が寄進したことが知られるが、作風はそれよりも古いものを示し、貴重な江戸時代の作品である。(流山市教育委員会掲示より)

常與寺の周辺図