流山赤城神社|流山市流山の神社

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流山赤城神社|流山地名発祥の社、赤城神社大しめ縄行事

流山赤城神社の概要

流山赤城神社は、流山市流山にある神社です。流山赤城神社の創建年代等は不詳ながら、かつて元和6年(1620)銘の棟札が遺されていたことから、元和6年(1620)には社殿が建立されていたことが確認されています。一説には、上州赤城山が噴火した際に土塊がここに流れ着いたことから地名「流山」が発祥、赤城神を祀ったとも、上州の赤城山のお札が流れ着いたから赤城神を祀ったとも伝えられます。明治維新後の社格制定に際して、明治11年郷社に列格していました。当社祭礼に先だって作られる「赤城神社大しめ縄行事」は市無形民俗文化財に、また「赤城神社本殿附棟札・木札及び橋掛り」は市有形文化財に指定されています。

流山赤城神社
流山赤城神社の概要
社号 赤城神社
祭神 大己貴神
相殿 -
境内社 筑波神、水神社、松尾神社、天満宮、稲造神社、三峯神社、船玉神社、羽黒神社
住所 千葉県流山市流山6-649
祭日 10月第三土・日曜日
備考 -



流山赤城神社の由緒

流山赤城神社の創建年代等は不詳ながら、かつて元和6年(1620)銘の棟札が遺されていたことから、元和6年(1620)には社殿が建立されていたことが確認されています。一説には、上州赤城山が噴火した際に土塊がここに流れ着いたことから地名「流山」が発祥、赤城神を祀ったとも、上州の赤城山のお札が流れ着いたから赤城神を祀ったとも伝えられます。明治維新後の社格制定に際して、明治11年郷社に列格、明治39年神饌幣帛料供進神社に指定されていました。

境内掲示による流山赤城神社の由緒

赤城神社と赤城山
流山にあるこの赤城山は、海抜15メートルのお椀を伏せたような小山で、山頂に赤城神社が祀られています。赤城神社の石碑には、上州(群馬県)の赤城山が噴火し、土塊がここに流れ着いたと記されており、”山が流れてきた”から流山という地名がついたという伝説があります。また、別の言い伝えによれば、上州の赤城山のお札が流れ着いたからともいい、赤城山は、流山の地名の由来となる面白い伝説がある地です。
赤城神社は江戸時代において「正一位」という神格を受けた、位の高い神社です。なお、神社の鳥居にある大きなしめ縄は、氏子や地元住民が協力して一日で作っており、重さは約500㎏もあります。(境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による流山赤城神社の由緒

由緒に関する記載なし(「千葉県神社名鑑」より)

「千葉縣東葛飾郡誌」による流山赤城神社の由緒

赤城神社
流山町流山字宮下にあり、郷社にして大己貴命を奉祀す、境内坪數六百九十坪、社殿間口六尺奥行六尺、拝殿間口五間奥行三間、社務所間口四間奥行二間、崇敬者休憩所間口八間半奥行三間、本社の由緒詳細ならず唯棟札に、元和六年九月二十九日建立と記せり、(「千葉縣東葛飾郡誌」より)

「稿本千葉縣誌」による流山赤城神社の由緒

赤城神社
同郡(同上)流山町大字流山字宮下に在り、境内六百九十坪、大己貴命を祀る、元和六年六月之を創建し、明治十一年三月郷社に列せらる。傳へ云ふ、建長三年上野國赤城山崩壊し其の岩石流れて此の地に止れり、是即ち本社の起れる所以にして村名も亦之に基くと、末社五座あり。明治三十九年十二月幣饌料供進指定。(「稿本千葉縣誌」より)


流山赤城神社所蔵の文化財

  • 赤城神社本殿附棟札・木札及び橋掛り(流山市指定有形文化財)
  • 赤城神社大しめ縄行事(流山市指定無形民俗文化財)

赤城神社本殿附棟札・木札及び橋掛り

赤城神社本殿は、桁行一間、柱間一間、高さ五メートルの一間社流造で、周囲に高欄の付いた縁が回されています。また、正面には階段と極彩色の向拝柱を設け、反り橋え拝殿と繋がっています。
調査により発見された棟札によって、現在の本殿は、寛政元年(一七八九)に味醂醸造で名高い秋元三左衛門を主体として建立されたことや、より古い本殿があったことがわかりました。
建物上段は、彩色の施された彫刻で埋め尽くされており、江戸時代中期の特徴をよく表しています。下段は、欅の彫りを見せるために彩色を施さず、素木造りとしています。前面に建つ拝殿(明治四二年)と、周囲が覆屋でか囲われたことにより、建物と彫刻がよく保存されていました。建築年代や大工棟梁、彫刻棟梁の名が記された寛政元年建立時の棟札と本殿奉納を記した木札、貞享元年(一六八四)の棟札は、神社の歴史を示す貴重な資料であり、本殿と拝殿を橋掛りで繋ぐ形式は珍しいものといえます。赤城神社は、享保一八年(一七三三)に神祇管領から正一位の神格を叙され、戦前には郷社の社格を持ちました。赤城神社本殿は、江戸時代中期に醸造業で栄えた流山の建築文化を象徴する、貴重な建造物です。(流山市教育委員会掲示より)

赤城神社大しめ縄行事

しめ縄は、神前や神聖な区域に懸け渡して内外を分け、不浄をさえぎるものである。
赤城神社の大しめ縄は、十月十九日、二十日(現在は第三土・日曜日)の祭礼に先立ち、神社の清掃や祝祭などが行われる宮薙の日(現在は第二日曜日)に、氏子や流山五~八丁目自治会総勢約三〇〇人が力を合わせて作る。
青竹四本に稲ワラをかぶせ、縄で巻き締めた直径四〇cmの大縄三本を作り、これを撚り合わせる。出来上がった大しめ縄は、長さ約六、五m、太さ約一m、重量約五百kgあり、近郊では屈指の大きさを誇る。
赤城神社には、上州(群馬県)の赤城山の土あるいはお札が流れついたという伝説があり、「流山」という地名の由来とも言われている。
大しめ縄は、現在では祭礼の後も取り除かれずに、一年の間人々を見守っている。(流山市教育委員会掲示より)

流山赤城神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉縣東葛飾郡誌」
  • 「千葉県神社名鑑」
  • 「稿本千葉縣誌」