駒木諏訪神社|流山市駒木の神社

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駒木諏訪神社|高市皇子の後裔が勧請

駒木諏訪神社の概要

駒木諏訪神社は、流山市駒木にある神社です。駒木諏訪神社は、高市皇子の後裔が大同2年(807)当地に土着、諏訪大社を勧請して創建したといいます。武家の崇敬を集め、寛治年間(1087-1094)には源義家が欧州征伐に際して戦捷祈願、また水戸藩主徳川光圀も参詣したといいます。明治維新後の社格制定に際し、村社に指定され、明治39年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。

駒木諏訪神社
駒木諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 健御名方富命
相殿 -
境内社 姫宮神社、別雷神社、招魂社、恵比寿神社、祓戸神社、稲荷神社、天神社、国魂神社、大鳥神社
住所 千葉県流山市駒木655
祭日 8月23日
備考 -



駒木諏訪神社の由緒

駒木諏訪神社は、高市皇子の後裔が大同2年(807)当地に土着、諏訪大社を勧請して創建したといいます。武家の崇敬を集め、寛治年間(1087-1094)には源義家が欧州征伐に際して戦捷祈願、また水戸藩主徳川光圀も参詣したといいます。明治維新後の社格制定に際し、村社に指定され、明治39年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。

境内掲示による駒木諏訪神社の由緒

遠い祖先以来、「おすわさま」という名で親しまれている諏訪神社は、社伝によると大同二年(八〇七年)天武天皇の皇子であります高市皇子(たけちのみこ)の後裔が大和(奈良県)より関東に下向、この駒木を永住の地と定めて守護神として信州諏訪大社から額面を遷し祀ったのが創建とされています。
祭神は、「健御名方富命」で別に古事記や旧事記には「健御名方命」とも記されております。
この神社の境内は約一万坪にして、うっそうと大樹が繁り千二百年の歴史を今に伝えております。
社殿は、本殿・幣殿・拝殿からなる相の間造りであります。
本殿は、桁行奥行とも一間の本体に向拝を設け組物、肘木天井などは唐物の手法を見せております。
幣殿は、桁行三間梁行二間でありますが、前面柱間は実寸三間もあり、向拝柱もその延長に立つなど前面の柱配置とそれに対応する梁の巨大さに特長があり本殿と共に文政九年(一八二六年)に完行されております。棟梁は国の重要文化財にも指定されている建築の作者多古の文蔵であります。また拝殿は、幣殿の前部に位置し間口四間奥行二間半、弘化三年(一八四六年)に完工され作者は当地方の名工八木の文蔵であります。共に銅板葺にして、これらは江戸時代建築の典型的な権現造りで優雅を極めております。(流山市教育委員会掲示より)

「千葉県神社名鑑」による駒木諏訪神社の由緒

大同二年九月、信州諏訪大社より分祀せられ、当地方開発の守護神として奉斎創建。以来、源義家、徳川光圀、各城主をはじめ崇敬者は関八州に及んだ。境内地は江戸時代以前には一〇余万坪に及んでいたが、徳川幕府の牧場として縮小され、明治以後拡張、漸く今日の社叢を整う。駒木の地名は 昔、馬産地であったので、古牧と称したことに由来するとも、また義家が参詣の折、乗馬奉献に際し駒をつないだことによるともいう。(「千葉県神社名鑑」より)

「千葉縣東葛飾郡誌」による駒木諏訪神社の由緒

諏訪神社
諏訪神社は、駒木区にあり。境内閑寂老杉森鬱として千古の影を投じ、社殿壮麗にして思わず袗を正さしむ。
祭神は、大国主命の御子建御名方ノ命を奉祀す。平城天皇の大同二年に創建せられたりと言い伝ふ。毎年八月二十三日を以て例祭を行う。この日、遠近男女の参拝者すこぶる多く、境内人を以て充満し立錐の地なきに至る。以て世人崇敬の厚きを知るに足らむ。
寛治年間、源義家奥羽征伐の際本社に詣りて、戦捷を祈りしと言う。境内に鞍掛の松と称して、義家の鞍を掛けたりと伝うる松ありしが、今は枯朽してただ石碑と地名にその名残りを存するのみ。
明治三十九年勅命第九十六号に依り、神饌幣帛料を供進すべきものと指定せらる。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)

「稿本千葉縣誌」による駒木諏訪神社の由緒

諏訪神社
同郡(同上)八木村大字駒木字諏訪に在り、境内千五百十二坪、祭神は健御名方命にして創建年月詳ならず。毎年八月二十三日祭典を執行し、遠近の来賽者群をなす、社殿大ならざれども稍美なり。明治三十九年十二月幣饌料供進指定(「稿本千葉縣誌」より)


駒木諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉縣東葛飾郡誌」
  • 「千葉県神社名鑑」