蓮福寺|茂原市本納にある顕本法華宗寺院

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成就山蓮福寺|旧妙満寺輪番上総10ヶ寺

蓮福寺の概要

顕本法華宗寺院の蓮福寺は、成就山と号します。蓮福寺は、黒熊大膳亮景吉が拠っていた本納城の跡地に、酒井康治が開基となり天正8年(1580)に創建、慶安2年には江戸幕府より寺領34石の御朱印状を受領、妙満寺輪番上総10ヶ寺の一だったといいます。

蓮福寺
蓮福寺の概要
山号 成就山
院号 -
寺号 蓮福寺
住所 茂原市本納3101
宗派 顕本法華宗
縁日 -
葬儀・墓地 -
備考 -



蓮福寺の縁起

蓮福寺は、黒熊大膳亮景吉が拠っていた本納城の跡地に、酒井康治が開基となり天正8年(1580)に創建、慶安2年には江戸幕府より寺領34石の御朱印状を受領、妙満寺輪番上総10ヶ寺の一だったといいます。

「稿本千葉県誌」による蓮福寺の縁起

成就山蓮福寺
同郡同上(長生郡𦾔長柄郡)本納町大字本納に在り、境内二千五百八十五坪、日蓮宗妙滿寺の末派にして、本山輪番上總十箇寺の一なり。寺傳に云ふ、天正八年黒熊氏の城址に就き之を創建す、酒井康治を開基とし僧日遊を開山とす、慶安二年八月徳川家光寺領三十四石を寄附す、堂宇宏壮にして観るに足れり。(「稿本千葉県誌」より)


蓮福寺所蔵の文化財

  • 本納城址(茂原市指定文化財)
  • 蓮福寺の大公孫樹(茂原市指定天然記念物)

本納城址

本納城は室町末期、享禄二年(一五二九)に構築されたと伝えられるが、地の利を生かした要害堅固な山城であった。永禄の頃、黒熊大膳亮景吉という武将これに拠って二十四郷を治め武威を誇っていた。
永禄七年(一五六四)国府台合戦ののち、房州里見の傘下を離反した土気城主、酒井胤治の軍勢に急襲され、永禄十二年三月二十八日落城、城主景吉は切腹したと記録されている。その後土気方から城代家老、板倉右衛門がきて統治したが、天正十八年(一五九〇)小田原落城後、徳川幕下の旗本知行地となり廃城となる。本、中、下城址削壁、抜穴、袋狭間、狼煙台址等々、中世山城の遺構を多く今にとどめている貴重な城址である。(茂原市教育委員会掲示より)

成就山蓮福寺の周辺図