興津鹿島神社|勝浦市興津の神社

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興津鹿島神社|勝浦市興津の神社

興津鹿島神社の概要

興津鹿島神社は、勝浦市興津にある神社です。興津鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、歌人として著名な山部赤人が天平17年(754)に勧請したと伝えられます。当初は弁天山に鎮座していましたが、妙覚寺第16世日嚴が当地に遷したといいます。

興津鹿島神社
興津鹿島神社の概要
社号 鹿島神社
祭神 武甕槌尊
相殿 -
境内社 -
住所 千葉県勝浦市興津1181
祭日 例大祭10月10日
備考 -



興津鹿島神社の由緒

興津鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、歌人として著名な山部赤人が天平17年(754)に勧請したと伝えられます。当初は弁天山に鎮座していましたが、妙覚寺第16世日嚴(元亀天正:1570~1593年頃の僧)が妙覚寺境内地に遷したといいます。明治維新後の社格制定に際しては村社に列格、明治39年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。

「千葉県神社名鑑」による興津鹿島神社の由緒

第四五代聖武天皇天平一七乙酉年(七五四)、下総の鹿島より歌聖山部赤人の勧請と伝えられる。実に一、二〇〇余年以前の創立で、本村中最古の歴史をもつ神社だが、現在の社殿は、火災による焼失後文化年聞に再建された。当初弁天山に勧請されていたが、日厳上人が現地妙覚寺境内に移したものである。(「千葉県神社名鑑」より)

「夷隅郡誌」による興津鹿島神社の由緒

鹿島神社
興津町興津土井口の高丘に鎮座す、祭神は武甕槌命にして、經津主命・天兒屋根命を配祀す、社傳によれば、聖武天皇天平十年歌聖山邊赤人常陸國鹿島より勧請せりといふ。寛永年間祝融の禍災に罹り、文化年間再建せり、これ即ち現在の社殿にして、本殿(間口二間御尺奥行三間)と拝殿(間口五六間奥行三間)とに分れ、規模敢て大ならずと雖も、森嚴の氣人をして自ら襟を正さしむ、明治三十九年勅令第九十六號を以て神饌幣帛料供進神社に指定せらる。(「夷隅郡誌」より)

興津鹿島神社の周辺図


参考資料

  • 「夷隅郡誌」
  • 「千葉県神社名鑑」