善龍寺|柏市高柳にある天台宗寺院

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高柳山善龍寺|東葛印旛大師八十八ヶ所霊場

善龍寺の概要

天台宗寺院の善龍寺は、高柳山龍正院と号します。善龍寺の創建年代等は不詳ながら、かつては当地(字馬洗戸)より東側の高台(字堂屋敷)にあり、真言宗寺院だったと伝えられ、その創建は室町時代ではないかといいます。江戸期に入り、(戦国時代末期に天台宗寺院として再興された)泉倉寺の諶宥により天台宗に改め、字堂屋敷より当地(字馬洗戸)へ移転したと伝えられます。本堂横に植えられている五葉松は、上野寛永寺の輪王寺宮公現法親王より文久元年(1861)に下賜されたされたもので、柏市天然記念物に指定されています。東葛印旛大師八十八ヶ所霊場2番です。

善龍寺
善龍寺の概要
山号 高柳山
院号 龍正院
寺号 善龍寺
住所 千葉県柏市高柳169
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



善龍寺の縁起

善龍寺の創建年代等は不詳ながら、かつては当地(字馬洗戸)より東側の高台(字堂屋敷)にあり、真言宗寺院だったと伝えられ、その創建は室町時代ではないかといいます。江戸期に入り、(戦国時代末期に天台宗寺院として再興された)泉倉寺の諶宥により天台宗に改め、字堂屋敷より当地(字馬洗戸)へ移転したと伝えられます。本堂横に植えられている五葉松は、上野寛永寺の輪王寺宮公現法親王より文久元年(1861)に下賜されたされたもので、柏市天然記念物に指定されています。

境内掲示による善龍寺の縁起

高柳山善龍寺龍正院という天台宗のお寺で本尊は釈迦如来です。昔は県道を隔てた東側の台地上に伽藍が有りましたが、火災で焼失したのち現在地に移転したと伝えられています。(境内掲示より)

「沼南町史」による善龍寺の縁起

当寺は県道船橋取手線の沿線西側の、やや低地に位置し、直線で約五〇メートルほどの表参道を有する。字馬洗戸は大津川に向かって半島状をなす台地であるが、当寺はその突端に近い境内である。元来、馬洗戸の大部分は当寺の寺域であったが、戦後の農地解放で耕地を失い、また県道の開通によって寺有地は二分されている。
当寺は古記録は失われており、創建については不詳である。ただ、この県道を隔てた東側の高台は俗に”堂屋敷”と呼ばれていて、ここに元の伽藍があり、火災で焼失した後に現在地に移転したと伝えられる。たしかに、寺有地であるこの高台山林中には、現在大規模な土塁の跡を遺しているが、これは戦国期の城祉(高柳城)ともいわれている。
城の構築と寺の創立との前後関係は不明であるが、当寺の墓所からは応永二十五(一四一八)年八月十四日建立の板碑が出土していることからも、その創立は少なくとも室町初期を下ることはないと思われる。板碑が大日真言の梵字を刻することから、当初は密教系統の寺院であったとも考えられる。高柳城には地元の豪族高柳氏が居住したといわれるが、当寺の山号もまたそれによるものであろう。当寺の南方二〇〇メートルほどに、俗に”常念坊”と称する寺有地がある。往古の堂社であろうが、当寺との関係は不詳である。
ところで、当寺の裏山には釈迦如来の舟形石像が現存し、「奉建立釈迦如来一宇念願成就之処 延宝五丁巳天十一月吉日同道十七人」と刻まれている。当地に釈迦如来を祀る堂宇を建立する念願を果たしたことを記念する石塔とみられる。したがって、当寺が”堂屋敷”から現在地へ移ったのは、おそらく延宝五(一六七七)年であり、その移転には深い理由があったことが推定される。ちなみに、当寺の本尊は釈迦如来であり、天台宗では異例だからである。当寺は江戸期に、小倉の名刹泉倉寺諶栄の弟子である諶宥が天台宗に属させ、泉倉寺の末寺に配したといわれるが、その年時も詳らかではない。
以後、正徳三(一七二二)年には参道の入口に立派な六地蔵が建てられ、広大な寺有地と多くの檀信徒を有して隆昌してきた。戦後は約一〇町歩の耕地を解放したが、いまなお町内寺院では最大の寺有地を有している。現存する本堂は建立年時不詳ながら、江戸中期以前の古建築とみられている。昭和三十九年から四十年にかけて、本堂の大改修をはじめ、旧庫裡(八間半×五間)と旧観音堂(三間五尺×二間)を解体して新たに改築するなど、諸堂の整備がなされている。
境内には文久元(一八六一)年、上野寛永寺の輪王寺宮公現法親王から下賜され、時の住持泰然が植えた見事な五葉松(町指定天然記念物)がある。また、如意輪観音堂も由緒あるものと思われるが、詳しいことは不明である。(「沼南町史」より)


善龍寺所蔵の文化財

  • 善龍寺の五葉松(柏市指定天然記念物)

善龍寺の五葉松

五葉松は、マツ科の常緑高木で、本州南部から四国、九州にわたり広く分布しています。樹皮は暗灰色・鱗状をしています。1ヶ所から五本の針葉が出るため、めでたい樹木とされて、その名の由来となっています。
本堂左側のこの五葉松は、高さ4メートル、幹囲約1.3メートルの主幹は安定した蛇行をし、中ほどより少し上から左右に長大な枝を張り、上下前後に大玉を形成し、見事な枝ぶりを見せています。全体として調和のとれた、美しい盆栽様の形状です。
当寺の記録では、この松樹は文久元年(1861)に東京都上野寛永寺の輪王寺宮公現法親王より下賜されたとあります。当時の住職法師泰然がここに植樹しました。泰然は当寺に40年も住職を務めており、寛永寺とも深いつながりがあったのでしょう。
昭和50年12月4日に柏市(当時は沼南町)の天然記念物に指定されました。(柏市教育委員会掲示より)

善龍寺の周辺図


参考資料

  • 「沼南町史」