大青田妙見神社|柏市大青田の神社

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大青田妙見神社|柏市大青田の神社

大青田妙見神社の概要

大青田妙見神社は、柏市大青田にある神社です。大青田妙見神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当社の別当を勤めていた妙見山圓福寺の古記録によると、平忠常の乱を平定する際に源頼宣が当地を本陣としたことから、後に千葉介常胤が妙見菩薩を奉安したとしています。「千葉縣東葛飾郡誌」では荒唐無稽な説だとしながらも、千葉氏が繁栄していた平安末期から鎌倉頃に勧請したのではないかと記しています。明治維新後の社格制定に際し無格社とされたものの、明治41年字稲荷山の稲荷神社・字西郷谷の鷲神社を、翌年字城下の諏訪神社を合祀しています。

大青田妙見神社
大青田妙見神社の概要
社号 妙見神社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 諏訪神社、天神社
住所 千葉県柏市大青田1109
祭日 大祭7月28日
備考 旧村社



大青田妙見神社の由緒

大青田妙見神社の創建年代等は不詳ながら、かつて当社の別当を勤めていた妙見山圓福寺の古記録によると、平忠常の乱を平定する際に源頼宣が当地を本陣としたことから、後に千葉介常胤が妙見菩薩を奉安したとしています。「千葉縣東葛飾郡誌」では荒唐無稽な説だとしながらも、千葉氏が繁栄していた平安末期から鎌倉頃に勧請したのではないかと記しています。明治維新後の社格制定に際し無格社とされたものの、明治41年字稲荷山の稲荷神社・字西郷谷の鷲神社を、翌年字城下の諏訪神社を合祀しています。

千葉県神社名鑑による大青田妙見神社の由緒

由緒に関する記載なし(千葉県神社名鑑より)

「柏市史」による大青田妙見神社の由緒

妙見神社
大青田村字北之内に所在。祭神は天御中主命。明治四一年八月字稲荷山の稲荷神社・字西郷谷の鷲神社、明治四二年字城下の諏訪神社を合祀した。(「柏市史」より)

「千葉縣東葛飾誌」による大青田妙見神社の由緒

(無格社)大青田にあり、天御中主尊を祀る、境内に周圍三丈の椋樹あり、又舊記録あり。
大青田妙見社縁起、縁起の文書荒唐にして牽強附會信を惜くべからざれども頗る古き社なること疑を容れず。惟ふに花野井の妙見神社と共に往古千葉氏の繁榮せし當時各其の地の鎮守たりしものにして八百年後の今日尚其の餘影を留むるものにはあらざらんか。嘗て當社の別當たりし妙見山圓福寺に傳はる所の縁起は延文二年七年(ママ)二日醍醐水本學匠大僧都雲巌なるもの舊記を集め有職に因み卜部家に尋ねて之を綴ると跋せり。其後弘治二年五月十三日紅葉岡別當妙見山地蔵院圓福寺住職法印大僧都巌旭なる者の追加せるものなり。之を抄録すること日在の如し。
《抄録其一》
其出現の始は人皇十代崇神天皇七代の秋東國に魔王漫る皇子豊城命を以て征東将軍とせしは東國を治めしめ玉ふ命東征して下總五百野の御牧に於て魔賊と戰ふ官軍魔術に身體勞れて菖蒲の郷に退く邑人汚穢を拂ひ家を改め葛を以て之を飾り命を迎へて傳き奉る此のところ葛飾郡と云ふ是郡之始也官軍戰ふ度に利無くして菖蒲郷之外四維皆魔敵なり遁るゝ所なし之に依て七日食を斷ちて畫夜身を沼水に浸して七星を祈る或夜虚空より光明々として降るあり其鳴動雷の如し命之を見玉ふに七尺の利劔なり水神大龜と化し沼中より出で甲を捧げて之を迎ふ彼の劔忽童子と現じ吾れ汝が斬る所の星靈爰に出現す早く敵魔を治討せよと命蹲踞し玉ひ永久此に鎮座あり日城の守護神爲るべし□を作し玉ふ星靈霧に紛れて跡を失ふ是妙見出現の始也。
《抄録其二》
源賴朝石橋山に於て大庭三郎景親と戰ひ打負けて七騎を率して椙山に隠る(中略)眞名鶴が崎より船に乗りて安房國に赴き九月上總に至り其より下總國大青田庄妙見大菩薩の拝殿に滞留す千葉介常胤爰に於て賴朝に謁す賴朝常胤を召して社地の眷々成を問ふ常胤曰く昔前上總介平忠常叛逆の時源頼宣勅命を奉じて下向の時爰を本陣とし終に賊徒を滅し其威天下に振へり已に名将譽秀の地土民の阡陌となる常胤是を悲み武威を祈らん爲め數代家傳の本尊妙見菩薩を以て爰に安置し今是の如し君亦爰に滞留是吉例と云ふ賴朝感悦有て本位を遂るの後造立是に倍すべしと(下略)(「千葉縣東葛飾誌」より)


大青田妙見神社の周辺図


参考資料

  • 千葉県神社名鑑
  • 「柏市史」
  • 「柏市史資料編土・千代田村誌」