横渚諏訪神社|鴨川市横渚の神社

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横渚諏訪神社|南北朝時代に開創、4月に開催される春市

横渚諏訪神社の概要

横渚諏訪神社は、鴨川市横渚にある神社です。横渚諏訪神社は、信州高梨郷より当地に移住した人たちが、南北朝時代の天授3年(1377)に諏訪大社を勧請したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際しては郷社に列格していました。当社の諏訪講の山車と人形は、鴨川市有形民俗文化財に指定されているほか、4月には春市が毎年開かれています。

横渚諏訪神社
横渚諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 -
境内社 浅間神社
例祭日 例大祭:9月13日
住所 鴨川市横渚812
備考 -



横渚諏訪神社の由緒

横渚諏訪神社は、信州高梨郷より当地に移住した人たちが、南北朝時代の天授3年(1377)に諏訪大社を勧請したと伝えられます。明治維新後の社格制定に際しては郷社に列格していました。

境内掲示による横渚諏訪神社の由緒

旧郷社・諏訪神社の祭神は建御名方命。南北朝の頃、信州(現長野県)高梨郷より当地に移住した人たちが、南朝の天授3年(1377)に、信州諏訪郡の諏訪大社諏訪大明神を勧請したといわれています。
安永8年(1779)12月に社殿が再建され、享和元年(1801)に大造営を行っています。本殿左右に龍の彫り物があり、向かって右側の龍には武志伊八郎信由の銘が入っていますが製作年代は不詳です。
なお、当神社「諏訪講の山車と人形」は、日枝神社の「山王講の山車と人形」と共に、市の有形民俗文化財に指定されています。
また、4月には境内で植木、花木、鍬、鎌などを売る露店が数多く立ち並ぶ春市が毎年開かれ、近隣より多くの買い物客が訪れたいへん賑わいます。(境内掲示より)

「千葉県神社名鑑」による横渚諏訪神社の由緒

南朝は後亀山帝天授三年、北朝は後円融帝永和三年、信濃国南方刀美神社を勧請奉祀した。(「千葉県神社名鑑」より)

「稿本千葉県史」による横渚諏訪神社の由緒

諏訪神社
同村(安房郡・舊長狭郡、吉尾村)大字横尾字芝に在り、境内千六百坪、祭神は建御名方命なり。社傳に云ふ、天授三年諏訪賴定の臣某等信濃國諏訪神社を勧請すと。明治六年八月郷社に列せらる、末社一座あり。(「稿本千葉県史」より)


横渚諏訪神社の由緒

  • 諏訪講の山車と人形(鴨川市指定有形民俗文化財)
  • 諏訪神社本殿の彫刻

諏訪神社本殿の彫刻

現在の諏訪神社本殿は、安永八年(一七九九)に再建されたと伝えられています。この本殿の向拝向かって右側に配置されれている竜の裏面に「彫工 武志伊八郎信由」の銘が刻まれていることから、初代伊八が建物全体を装飾する彫刻を製作したことが推定されます。
この竜の作風は、伊八の三十代半ば頃の特徴が認められることから、天明年間頃に製作されたものと推測されます。本殿向拝左側の竜は、右の竜とは作風が異なる点が認められるため、後年に初代伊八とは別の作者によって製作されて取り付けられたものと推測されます。
また、右側の竜は、その姿から「阿吽」の吽の形と解釈することも可能です。当時この地域えは阿は右、吽は左に配置されることが一般的であったことから、当初この竜は向かって左側に取り付けられていた可能性も否定できません。(鴨川市の文化遺産を活かした地域活性化実行委員会掲示より)

横渚諏訪神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉県神社名鑑」