宝泉院|鎌ケ谷市南佐津間にある真言宗豊山派寺院

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瑠璃山宝泉院|東葛印旛大師八十八ヶ所霊場

宝泉院の概要

鎌ケ谷市南佐津間にある真言宗豊山派寺院の宝泉院は、瑠璃山放光寺と号します。宝泉院の創建年代等は不詳ながら、元和6年(1620)の「佐津間村地詰田帳」に寺名記されていることから、江戸幕府開府以前の創建ではないかといいます。また、境内の不動堂は万治年間(1658-1661)の建立と伝えられています。東葛印旛大師八十八ヶ所霊場41番です。

宝泉院
宝泉院の概要
山号 瑠璃山
院号 宝泉院
寺号 放光寺
住所 鎌ケ谷市南佐津間9-37
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



宝泉院の縁起

宝泉院の創建年代等は不詳ながら、元和6年(1620)の「佐津間村地詰田帳」に寺名記されていることから、江戸幕府開府以前の創建ではないかといいます。また、境内の不動堂は万治年間(1658-1661)の建立と伝えられています。

「鎌ケ谷市史(上巻) 」による宝泉院の縁起

宝泉院-佐津間村-
佐津間村字雷に所在した。新義真言宗に属し、葛飾郡鰭ヶ崎村の東福寺の末寺である。本尊は薬師如来である。由緒は不詳であるが、文化年間(一八〇四)に再立されたという。境内には不動明王を祀る不動堂が一宇あり、万治年中(一六五八~六一)の建立という(なお、平成四年の取り壊しの際に確認された棟札には、宝暦十一年(一七六二)の銘があり、この年に再建されたものと考えられる。その際の大工は北相馬郡取手町(現茨城県取手市)の前瀧国蔵である)。檀徒人員は七八九人である(以上「県寺院明細帳」)。
また、天保八年(一八三七)の「寺柄書上」(『市史』資料編Ⅲ・下No一七一)によると、檀家は六五軒であり、聞き取りなども合わせてみると、佐津間・粟野の両村全戸と、軽井沢新田の一部に範囲が及んでいたと考えられる。また、当寺の什物として、両大師・十三仏・如意輪観音・地蔵尊・両界種子曼荼羅・三尊弥陀絵・十王絵などが書き上げられている。経済的な基盤として、寺付の田畑が一町三反余(高五石九斗四升六合)と祠堂金(後述)が二六両二分あった。(「鎌ケ谷市史(上巻) 」より)

「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」による宝泉院の縁起

宝泉院
真言宗豊山派。長谷寺末。佐津間字雷(現南佐津間九番三七号)に所在する。文化元年(一八〇四)の再立と伝える。境内に万治年間(一六五八~一六六一)の建立と伝える不動堂がある(平成四年の取り壊しの時確認された棟札には、「宝麿拾弐歳三月日大工下総国北相馬郡取手町前瀧国蔵」と記されていた)。東葛・印旛大師講第四十一番札所が所在する。佐津間・粟野の全体と軽井沢・初富の一部が檀家である。(「鎌ヶ谷市史資料編(民俗)」より)

「鎌ケ谷市史(別巻)」による宝泉院の縁起

佐津間の宝泉院(南佐津間所在)は、真言宗豊山派の寺院で、古くは鰭ケ崎(流山市)の東福寺の末寺であったが、現在は長谷寺(奈良県桜井市)の末寺となっている。「寺院明細帳」では由緒が不詳と記されているが、元和六年(一六二九)の「佐津間村地詰田帳」などにその名がみえることから、開創は中世に遡るものと考えられる。(「鎌ケ谷市史(別巻)」より)


宝泉院の周辺図


参考資料

  • 鎌ケ谷市史(上巻)
  • 鎌ヶ谷市史資料編(民俗)
  • 鎌ケ谷市史(別巻)