不動院|市川市東管野にある真言宗豊山派寺院

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山王山不動院|下総四郡八十八所霊場

不動院の概要

市川市東管野にある真言宗豊山派寺院の不動院は、山王山と号します。不動院の創建年代等は不詳ながら、天慶3年(940)の平将門の乱に際して京都より房総へ下向した寛朝大僧正が、不動明王像一体を成田山新勝寺に、もう一体を当地に安置、その一体が当寺本尊だとされます。豊臣秀吉も小田原征伐に際して当寺本尊に祈念、寺領の寄進を受け、火災に際しても本尊は免れたことから火防の不動として信仰を集めたといいます。下総四郡八十八所霊場35番です。

不動院
不動院の概要
山号 山王山
院号 不動院
寺号 -
本尊 不動明王像
住所 市川市東管野1-16-11
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



不動院の縁起

不動院の創建年代等は不詳ながら、天慶3年(940)の平将門の乱に際して京都より房総へ下向した寛朝大僧正が、不動明王像一体を成田山新勝寺に、もう一体を当地に安置、その一体が当寺本尊だとされます。豊臣秀吉も小田原征伐に際して当寺本尊に祈念、寺領の寄進を受け、火災に際しても本尊は免れたことから火防の不動として信仰を集めたといいます。

「千葉縣東葛飾郡誌」による不動院の縁起

不動院、菅野にあり、山王山と號す、眞言宗新義派にして、葛飾村山野延命院の末寺なり、不動尊を本尊とす。人皇第六十一代朱雀天皇の天慶二年将門の亂あるや、不動明王を護持して、此亂を平げは人の知る所にして、此時寛朝僧正平生護持せられし、成田不動尊と同木同月作の明王を葛飾郡八幡の邊り、菅野の里に、安置せられしもの即ち是なり。後六百五十餘年豊臣秀吉關東下向の時、此の本尊に祈念あり、是れより寺領を賜ひたる記録今に存す。然れども安政五年十一日祝融の災に遇ひ寶物記録等焼失せるもの多し。獨り本尊御影の版木尊體を殘して出現せり。是れより火防の不動とし、歸依益々加ははれりと。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)


不動院の周辺図


参考資料

  • 「千葉縣東葛飾郡誌」