妙正寺|市川市北方町にある日蓮宗寺院

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龍経山妙正寺|市川七福神の寿老人・福禄寿

妙正寺の概要

市川市北方町にある日蓮宗寺院の妙正寺は、龍経山と号します。妙正寺は、本尊・法華経一部八軸を日蓮上人より授与され、法名妙正を与えられた老婦人が、将来の児童の疫病除けを誓約、姥ヶ池で姿を消したことから、富木播磨守胤継公(常修院日常)が文応元年(1260)池の近くに堂宇を建立して妙正大明神と崇めたことにより始まるといいます。爾来妙正庵と号す尼寺として護持されていましたが、大正年間に寺号を妙正寺と改めています。当寺は、日蓮上人より授与された法華経が櫻の木に懸けられていたといわれ、その後も櫻が疫病除けの神符と崇められてきたことから、桜之霊場として著名です。また市川七福神の寿老人・福禄寿が祀られています。

妙正寺
妙正寺の概要
山号 龍経山
院号 -
寺号 妙正寺
本尊 一塔両尊
住所 市川市北方町4-2122
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙正寺の縁起

妙正寺は、本尊・法華経一部八軸を日蓮上人より授与され、法名妙正を与えられた老婦人が、将来の児童の疫病除けを誓約、姥ヶ池で姿を消したことから、富木播磨守胤継公(常修院日常)が文応元年(1260)池の近くに堂宇を建立して妙正大明神と崇めたことにより始まるといいます。爾来妙正庵と号す尼寺として護持されていましたが、大正年間に寺号を妙正寺と改めています。当寺は、日蓮上人より授与された法華経が櫻の木に懸けられていたといわれ、その後も櫻が疫病除けの神符と崇められてきたことから、桜之霊場として著名です。

境内石碑による妙正寺の縁起

宗祖櫻之霊場縁起
爰に下総国東葛飾郡中山千足妙正寺に安置し奉る妙正大明神は、遠く其の源を尋るに、人皇八十八代後深草帝の御宇、下総の領主富木播磨守胤継公、宗祖日蓮大聖人を若宮の館に迎へ奉り、法華堂(現在の奥之院)を建立し百座の法筵を願ひ奉る。大聖人是の堂に在て説法し給ふに、遠近相伝へて聴衆日に倍々多し。其の内一老婦人あり。日々来りて聴聞す。衆人何処より来るを知らず、皆之を怪みけり。説法満日の砌、先の老婦人大聖人に本尊及法号並に法華経一部八軸を賜らん事を希ふ。且つ大聖人に述べて曰く、「我必ず当に末世の児童を守護すべし」と。斯く誓ひしかば、大聖人直に「疱瘡守護の誓約、妙正に授与するなり」と記したる曼荼羅を与へ、名を「妙正」と授け、八軸の法華経を賜ふ。老婦人大に歓喜して去りぬ。人々窃に尾して之を瞰へば、八軸の内七軸の法華経は途中所々に一軸ずつを安ぜり。後世之に拠て曼荼羅小路亦は七経塚と号す。老婦東北十余町許り距たりたる千足の池沼に至り忽焉として消へ失せ、其の曼荼羅は池に臨める櫻の枝に懸け置かれたり。亦、最後の一軸第五の巻は池の辺に安ぜり。
御神詠「昔より 約束なれば いもはしか 病むとも死なじ 神垣の内」
後に富木播磨守胤継公、出家得度し常修院日常と名を改む。日常聖人池の辺に一社を構へて龍経山と号し、妙正大明神と崇め奉るに至れり。爾来若し人病に罹り苦しむ時、大明神に祈らば忽ち病苦を免れ、其の霊験の速なる事、猶乳母の乳を与ふるが如し。世人之に依りて亦乳母神と称するに至る。茲に明暦年間同国印旛郡車方村に悪疱瘡流行し、児女其の大半を失ふ。村民諸神に祈るも更に験なし。皆挙て唯愁き悲むの外無かりき。時に同村の寺僧一心に諸神に村民安全を祈願せしに、一夜霊夢あり。諸神告げて曰く、「汝千足の妙正大明神に祈願し、霊櫻を削りて霊符と為さば、速に悪疾退散村内安全ならん」と。夢覚めし後、直に村人に語るに皆大に歓び馳来りて、妙正大明神に祈念し霊符を得て病物に与へしに、忽ち拭ふが如く村内安全を得たり。其の後経歴三年近郷近村に大悪疾流行し使者竪横なりし時、再び大明神に祈り霊符を以て忽ち安全を得たり。夫れより世人復「櫻之霊場」と号して遠近参拝以て今日に至れり。是唯縁起の概略を述ぶるのみ。
希くば浄信の善男善女速に詣でて、現世安穏・後生善処の本縁を結ばしめ玉へと云爾。(境内石碑より)

「日蓮宗寺院大鑑」による妙正寺の縁起

文応(1260-62)年間の創立。奠師法縁。もと妙正庵と称し妙正尊神を祀る。大正年間に寺号改称、尼寺から男僧住職寺へ。(「日蓮宗寺院大鑑」より)

「千葉縣東葛飾郡誌」による妙正寺の縁起

中山村誌
妙正寺
日蓮宗、建長六年日蓮、中山法華堂に法を説けるに、日毎に聴聞する婦人を認め、之に授くるに、厄疫守護の傳を以てし、妙正の號を與ふと傳ふ、世俗老神と稱するは、是にして、天然痘流行の際は特に賽客多しと云ふ。
七經塚
若宮法華寺を東に距る數町、変壠七基の石碑を存するもの是れ即ち七經塚なり、傳へ云ふ日蓮の法華堂に法を説くや連日聴講を怠らざる特志の一女子あり、日蓮怪しみて花瓶の水を注げば忽然姿を變じ八巻の經文を奪ひて逃ぐ人あり是れを追躡すれば七經は途に委せられ其第八巻のみは距ること數十町の一池畔に樹てる櫻に懸られたりしと、姥神の傳説と共に傳はれるものなり、後人經を委せられたる地に塚を築きて七經塚と稱す。
姥ヶ池
大字北方字姥溝にあり、妙正庵の境内に屬す、池畔に櫻樹あり老幹蜿蜒池面を掩ひ樹齢方に幾百年池水と共に古く實に幽邃寂寥の境、姥神の傳説を生む宜なりと謂ふべし。(「千葉縣東葛飾郡誌」より)


妙正寺の周辺図


参考資料

  • 「日蓮宗寺院大鑑」
  • 「市川市内の寺院明細帳」
  • 「千葉縣東葛飾郡誌」