長遠寺|市原市姉崎にある顕本法華宗寺院

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長遠寺|市原市姉崎にある顕本法華宗寺院

長遠寺の概要

市原市姉崎にある顕本法華宗寺院の長遠寺は、慶傳山と号します。長遠寺は、北条氏直の家臣だった平山蔵人頭重代が、小田原落城後当地に隠棲、平山家代々で信仰していた日蓮上人像を奉安して創建したといいます。

長遠寺
長遠寺の概要
山号 慶傳山
院号 -
寺号 長遠寺
住所 市原市姉崎115
宗派 顕本法華宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長遠寺の縁起

長遠寺は、北条氏直の家臣だった平山蔵人頭重代が、小田原落城後当地に隠棲、平山家代々で信仰していた日蓮上人像を奉安して創建したといいます。

「市原郡誌」による長遠寺の縁起

長遠寺
傳山長遠寺は姉崎字川崎にあり、日蓮宗の寺院にして祖師の像を安置す、里人等諸病の平癒を祈願し、特に眼病に霊驗ありと傳へ信心歸依するもの尠なからず、信徒等朝夕禮拝怠らず、殊に蔵するもの略縁起あり。
略縁起
抑當寺の本尊日蓮大師の由来を尋ぬるに、人皇百八代後陽成天皇の御宇文禄年中(皇紀二二五二年)の頃當國望陀郡久保田蔵波代宿の國主相川北條氏直の家臣七手組の大将武蔵國の住人平山蔵人頭重代安置の靈像地平山の先祖中老日法上人に深縁ありて授かりしと云ふ。
就ては靈驗のあらたなるに感應し數代信向淺からず、時に豊臣公の軍威盛にして相州小田原落城の後平山蔵人頭夫婦當國蔵波代宿に隠棲し閑居の身となり祖像に仕へ奉り至信恭敬淺井からず、時々村人に語りて曰く此は是我家の重代信仰の祖像なるが靈驗の観應すること數を知らず、我等夫婦死して後も此尊像に仕へ奉らんと誓ひ自ら夫婦の像を造りて祖像の左右に侍せしむとかや、夫婦の像尚今左右を離れず其後元禄年中富士山灰あり、日本國一同の大地震の時此尊像讀經の御聲門外に響き近隣の老若男女を威勤し給ふこと悉く人の知る所なり、中頃盗賊に奪はれ給ひし節も時の住僧及二三の檀越に靈夢を以て當山へ歸らせ給ふ事誠に希有の靈像なり、われより彌威光荘嚴し信徒法楽の聲止むことなし、略して縁起を記して一宗の信徒に無上の渇仰の懐はしめんと欲するのみ(時代〇日寧)(「市原郡誌」より)


長遠寺の周辺図