慈雲寺|船橋市宮本にある曹洞宗寺院

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大峰山慈雲寺|鎌倉建長寺2世仏光禅師開山

慈雲寺の概要

船橋市宮本にある曹洞宗寺院の慈雲寺は、大峰山と号します。慈雲寺は、鎌倉建長寺2世で鎌倉円覚寺初世の仏光国師無学祖元を開山として北条時宗が創建、七堂伽藍を備えた大寺だったものの、国府台の合戦に際し、永禄7年(1564年)焼失、梵鐘も国府台へ持ち去られてしまったといいます。その後能山梵芸和尚が曹洞宗寺院として開山しています。

慈雲寺
慈雲寺の概要
山号 大峰山
院号 -
寺号 慈雲寺
住所 船橋市宮本6-25-7
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



慈雲寺の縁起

慈雲寺は、鎌倉建長寺2世で鎌倉円覚寺初世の仏光国師無学祖元を開山として北条時宗が創建、七堂伽藍を備えた大寺だったものの、国府台の合戦に際し、永禄7年(1564年)焼失、梵鐘も国府台へ持ち去られてしまったといいます。その後能山梵芸和尚が曹洞宗寺院として開山しています。

「船橋市史」による慈雲寺の縁起

(五日市村)
慈雲寺
曹洞宗。大峯山と号する。前記村鑑(享和三年(一八〇三)の『村鑑明細書上帳』)には本尊は釈迦如来とある。『県寺明細』に「寛永十六年十一月十日開山船山鷹芸和尚示寂、創立年月不詳」とある。創立年月は不詳であるが、開山は寛永十六年に死去した僧であるというのである。しかし寺伝では僧名「能山梵芸和尚」で、開山ではなく中興開基であるという。『船橋村書上帳』には本郷村法城(宝成)寺の末で、境内三反五畝八歩とある。また同書には、境内三畝二〇歩の「正徳庵屋敷」は当寺の抱えとある。なお当寺は慶応四年の戊辰戦争の兵火で焼失した。(「船橋市史」より)

「船橋町史」による慈雲寺の縁起

慈雲寺
曹洞宗に屬し、大峰山と號す鎌倉圓覺寺開山佛光禅師祖元無學大和尚の開創にして中興開基は關東太守北條四代朝臣氏政より又當寺の開山は船山鷹藝大和尚なりと傳へらる。本尊釋迦如来十一面觀音は行基菩薩の刀なりといふ。元當寺は峰臺にありて七堂伽藍法幢地の寺格ありしも永禄年間、里見義弘の兵火にかゝり終に現在の如くなれり。四月八日灌佛會の典あり、以前は成道會涅槃會等の修行せられたりと云ふ。境内に會津脱走兵の墓あり之に祈願する時は腹の病を治すと傳ふ。(「船橋町史」より)

江戸名所図会による慈雲寺の縁起

大峯山慈雲寺
同町二丁あまり北の方新田にあり五山派の禅窟にして鎌倉建長寺第二世佛光禅師開基の精舎あり。本尊釋迦如来ハ行基大士の作脇士ハ文殊普賢等なり。昔ハ盛大の寺院なりしが永禄年間里見義弘の兵火に罹りて灰燼となる。又此時當寺の鯨鐘をも國府臺の陣へ奪ハれしの謬りて利根川へ沈めりとて今其處を字して鐘ヶ淵と呼へり(江戸名所図会より)


慈雲寺の周辺図


参考資料