豊榮神社|長生郡長南町米満の神社

猫の足あとによる千葉県寺社案内

豊榮神社|地内の諸社を合祀して明治44年成立

豊榮神社の概要

豊榮神社は、長生郡長南町米満にある神社です。豊榮神社は、明治維新後に成立した旧豊榮村地域に鎮座していた村社13(14)・無格社10計23(24)社を合祀して豊榮神社と改称、社殿を旧岡野神社跡に造営し明治44年村社に指定されたといいます。

豊榮神社
豊榮神社の概要
社号 豊榮神社
祭神 天照大御神、天之御中主神、伊邪那岐大神、品陀和氣尊、他12柱
相殿 -
境内社 -
例祭日 3月15日、10月15日
住所 長生郡長南町米満201・202
備考 旧指定村社



豊榮神社の由緒

豊榮神社は、明治維新後に成立した旧豊榮村地域に鎮座していた村社13(14)・無格社10計23(24)社を合祀して豊榮神社と改称、社殿を旧岡野神社跡に造営し明治44年村社に指定されたといいます。

「千葉県神社名鑑」による豊榮神社の由緒

旧豊栄村は各集落ごとに産土神を祭って祭典を行なっていたが、明治四二年新たに社殿を建立、村内の村社一三、無格社一〇、計二三社を合祀して社名を豊栄神社と改称した。同四四年指定村社となる。(「千葉県神社名鑑」より)

「長南町史」による豊榮神社の由緒

豊栄神社
米満字部田に鎮座し、天御中主命・品陀和気尊ほか二七神を祭る。合祀のため「おのおの規模小なりと言えども、相当の尊厳を保有せしが、文献の徴すべきものなければ、その由緒知る由もなし」と明治四十四年の神社社格変更願の事白書にある。
社伝に、旧豊栄村は、各部落ごとに産土神を祭って祭典を行なってきたが、明治四十二年(一九〇九)村長ならびに、村内有力者および一般村民から、人心の結合を強固にし豊な住み良い村造りには、自治区と信仰とを同じくする事が最も必要であると希望が出た。そこで、各部落の産土神を合祀し、
一村一社制として新たに社殿を建立し、祭祀を壮厳にし、氏子の敬神の念をあつくし、併せて自治体円満の基礎を固くする目的をもって、村内の村社一三、無格社一〇計二三社を合祀して、社名を豊栄神社と改称した。明治四十四年二月十四日知事の許可を得て、社殿を旧岡野神社跡に造営遷座した。
一村一社合祀は、全国にもその例を見ない大事業であり、指導者および村民の努力は誠に大であった。
明治四十四年指定村社となった。
神社合併記念行事として、秋季大祭に奉納相撲が行われたが、今は廃止されている。
祭日は三月十五日、十月十五日。(「長南町史」より)

「長生郡郷土誌」による豊榮神社の由緒

豊榮村
本村には、もと千田に三社神社、八幡神社、天御名立神社あり。今泉に面足神社あり、須田棚毛に鹿島神社。關原岩川に八幡神社あり。本臺に平野神社あり。米満に米満神社あり。千手堂に八幡神社、白幡神社あり。又富に又富神社あり。岩川に又神曾神社ありたり。然るに明治四十四年二月以上の神社を合併して、更に豊榮神社と崇稱せり。(「長生郡郷土誌」より)


豊榮神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉県神社名鑑」
  • 「長南町史」
  • 「長生郡郷土誌」