善勝寺|千葉市緑区土気町にある顕本法華宗寺院

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寶珠山善勝寺|土気城主酒井家の菩提寺

善勝寺の概要

顕本法華宗寺院の善勝寺は、寶珠山と号します。善勝寺の創建年代等は不詳ながら、極楽法寺と号する真言宗寺院として創建したといいます。酒井定隆が土気城主となると、帰依していた本行寺開山日泰上人を当地へ招聘、寛正5年(1464)日泰上人の求めにより真言宗だった当寺を法華宗に改めて如意寶珠山善生寺と号し、酒井家の菩提寺としたといいます。その後日泰上人の求めにより本寿寺を創建した際、山号を寶珠山としています。徳川家康の関東入国後、天正19年(1591)には寺領50石を寄進され、江戸期には末寺21ヶ寺を擁し、妙満寺輪番上總十箇寺の一に数えられる、本寺格の寺院でした。

善勝寺
善勝寺の概要
山号 寶珠山
院号 -
寺号 善勝寺
住所 千葉市緑区土気町215
宗派 顕本法華宗
葬儀・墓地 -
備考 -



善勝寺の縁起

善勝寺の創建年代等は不詳ながら、極楽法寺と号する真言宗寺院として創建したといいます。酒井定隆が土気城主となると、帰依していた本行寺開山日泰上人を当地へ招聘、寛正5年(1464)日泰上人の求めにより真言宗だった当寺を法華宗に改めて如意寶珠山善生寺と号し、酒井家の菩提寺としたといいます。その後日泰上人の求めにより本寿寺を創建した際、山号を寶珠山としています。徳川家康の関東入国後、天正19年(1591)には寺領50石を寄進され、江戸期には末寺21ヶ寺を擁し、妙満寺輪番上總十箇寺の一に数えられる、本寺格の寺院でした。

「千葉市史」による善勝寺の縁起

善勝寺
創建年代は不詳であるが、平安初期とする説がある。もと真言宗に属し、極楽法寺と称していたという。酒井小太郎定隆(後に越中守)が土気城主となった後は酒井家の菩提寺となっている。定隆は浜野郷に本行寺を建立した日泰上人に深く帰依し、寛正五年(一四六四)当山を日蓮宗に改宗するよう命じている。定隆は日蓮宗を領内に布教するため、日泰上人を土気に招き、如意宝珠山本寿寺を開き、中野村に如意山本城寺を興すが、同時に上人の命名によって、当寺を宝珠山善生寺としている。当寺は日蓮宗の中でも、京都妙満寺を本山とする顕本法華宗に属しているが、上総は同宗の盛んなところで、善勝寺は顕本法華上総一〇ケ寺の一つに数えられている。
天正十九年(一五九一)徳川家より五〇石の寄進を受けて、境内の竹木諸役は免除となった。善生寺を現在の善勝寺と改めたのもこのころといわれる。安永年間(一七七二~八一)に火災にあい、間もなく再建されたといわれる。当寺には、日泰上人真筆の曼荼羅、元享の年号のある梵鐘、定公着用と伝えられる鎧の断片が伝えられている。また、善勝寺境内は景勝の地として知られ、大正二年発行の『土気古城再興伝来記』に「月に奇にして、雪に勝あり、四時の観皆善し、実に県下一二の勝地にして、善勝の名亦美ならずや」と形容している。(「千葉市史」より)

「稿本千葉県誌」による善勝寺の縁起

寶珠山善勝寺
同郡同上(山武郡旧山邊郡)土氣本郷町大字土氣字東山に在り、境内二千二百二十九坪、日蓮宗妙満寺派なり、元本山輪番上總十箇寺の一にして末寺二十一あり。寺傳に云ふ、初めは眞言宗にして極楽寺と稱し、創建年月詳ならず、酒井定隆僧日泰に歸依し、土氣城に移るに及び、住僧某頸として其の宗を棄て日泰に歸し、名を日道と改め日泰を以て中興の初祖として自ら第二世と爲る、定隆定めて菩提寺と爲し佛像・佛器・殿堂等を改修し、改めて如意寶珠山善生寺と號す、一日定隆日泰を饗す、日泰更に一寺を此の地に創建せんことを望む、定隆乃ち本壽寺を建て如意の二字を取りて本壽寺に冠し、本寺をして單に寶珠山と號せしむ、天正十九年徳川家康寺領五十石を寄せ善勝寺と改む、安永中焼失す、天明中再び今の堂宇を建てたりと。境内土氣城址の南に接し、本堂・客殿・庫裡等宏壮觀る可し、東九十九里濱の海陸を一望し得べく景色極めて佳なり。(「稿本千葉県誌」より)


善勝寺所蔵の文化財

  • 土氣城主酒井家の御墓所

土氣城主酒井家の御墓所

土氣城主酒井家は、初代定隆が一四八七年(長享元年)に土氣城に進出し、二代定治、三代玄治、四代胤治、五代康治の約百年間、上総国の七里四方、三二ヶ町村を領地として治め、日泰上人と共に二七四ヶ寺を顕本法華宗に改宗した。
又、酒井家最盛期の一五七〇年代には二十三万四千四百石の領主となった。
そして、一五九〇年、豊臣秀吉の小田原城侵攻により土氣城が廃城となり、酒井家六代重治、七代実治は、家臣富田彦兵衛が三浦監物重成に働き掛け、徳川家康に九五〇石の旗本として仕える事ができ、大坂の陣へ出陣した。
茲に、先祖の藤原姓を刻んだ酒井六代重治、七代実治、家臣富田の三名の眠る墓所改修に当たり、酒井家の由来の一端を記す。(境内掲示より)

善勝寺の周辺図


参考資料

  • 「千葉市史」
  • 「稿本千葉県史」

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