泉福寺|千葉市中央区村田町にある日蓮宗寺院

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泉福寺|千葉市中央区村田町にある日蓮宗寺院

泉福寺の概要

日蓮宗寺院の泉福寺は、神明山と号します。泉福寺は、日泰上人の徒弟で、村田神明神社の社僧だった本覚院日眼が永正3年(1506)に創建したといいます。本行寺(顕本法華宗)の末寺でしたが、昭和16年の国家非常時体制の宗教統制政策により、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗の3宗が合同、戦後の宗教政策の下で3宗は分離した際に、当寺は日蓮宗寺院となっています。

泉福寺
泉福寺の概要
山号 神明山
院号 -
寺号 泉福寺
住所 千葉市中央区村田町494-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



泉福寺の縁起

泉福寺は、日泰上人の徒弟で、村田神明神社の社僧だった本覚院日眼が永正3年(1506)に創建したといいます。本行寺(顕本法華宗)の末寺でしたが、昭和16年の国家非常時体制の宗教統制政策により、日蓮宗・顕本法華宗・本門宗の3宗が合同、戦後の宗教政策の下で3宗は分離した際に、当寺は日蓮宗寺院となっています。

「千葉縣千葉郡誌」による泉福寺の縁起

泉福寺
神明山泉福寺と稱し生實濱野村村田區に在り。顕本法華宗に屬し同村本行寺の末寺なり。永正年中日泰上人の徒弟日眼の創建開基する所なりといふ。本尊は中央に南無妙法華經左右に畧して十界を造像し之を三寶諸尊と稱せり。寺堂間口五間奥行四間三尺の本堂と間口六間奥行三間三尺の庫裏とあり寺領及寺有財産なく三百七十九坪の境内を有すれども之れ亦民有地なり。(「千葉縣千葉郡誌」より)

「千葉市南部の歴史」による泉福寺の縁起

泉福寺
通称向町という旧村田川の湾曲部にある。永正三年(一五〇六)に浜野本行寺の日泰の弟子日眼が創立したといわれており、本行寺の末寺で顕本法華宗であったが、昭和二九年日蓮宗となった。本尊は十界勧請の大曼荼羅である。
日眼は村田の鎮守神田宮の社僧であったといい、泉福寺は神明宮の別当寺として山号を神明山としている。(「千葉市南部の歴史」より)

「日蓮宗寺院大鑑」による泉福寺の縁起

泉福寺
開山本覚院日眼・三派合同以前は顕本法華宗。住職は禹師法縁。天保3(1832)年に本堂を修理したとの記録がある。(「日蓮宗寺院大鑑」より)


泉福寺の周辺図