萬徳寺|千葉市中央区塩田町にある法華宗陣門流寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

萬徳寺|千葉市中央区塩田町にある法華宗陣門流寺院

萬徳寺の概要

法華宗陣門流寺院の萬徳寺は、如法山と号します。萬徳寺は、徳川家康が関東入国した天正18年(1590)当地の地頭として西郷弾正左衛門家員が入封、法華宗に帰依した家員(日如)が逝去した後、その子息西郷正員の助力を得て、萬徳院日善が寛永年間(1624-1645)に北生実に創建、大正2年勝浦行列車の煤火により焼失したため、大正4年当地へ移転したといいます。

萬徳寺
萬徳寺の概要
山号 如法山
院号 -
寺号 萬徳寺
住所 千葉市中央区塩田町561
宗派 法華宗陣門流
葬儀・墓地 -
備考 -



萬徳寺の縁起

萬徳寺は、徳川家康が関東入国した天正18年(1590)当地の地頭として西郷弾正左衛門家員が入封、法華宗に帰依した家員(日如)が逝去した後、その子息西郷正員の助力を得て、萬徳院日善が寛永年間(1624-1645)に北生実に創建、大正2年勝浦行列車の煤火により焼失したため、大正4年当地へ移転したといいます。

「千葉縣千葉郡誌」による萬徳寺の縁起

萬徳寺
北生實字濱本にあり。如法山萬徳寺と號す。日蓮宗深門派に屬し、越後國蒲原郡三條村本成寺の末寺なり。寛永年中萬徳院日善の開基創建する所にして三寶を本尊とす。本寺は元北生實區字橋戸にありしが、大正二年十一月十日夜房總線勝浦行列車のため火災を起して焼失す。其後現今の地に移轉せり。(「千葉縣千葉郡誌」より)

「千葉市南部の歴史」による萬徳寺の縁起

万徳寺
もと字橋戸にあり、法華宗陣門流に属し、越後国南蒲原郡本成寺村(現在、新潟県三条市内)の長久山本成寺の末寺である。本尊は宗祖尊定の十界勧請の大曼荼羅である。
創立は慶長一九年(一六一四)で、地頭西郷氏の助力により、万徳院日善が開山したという。天正一八年(一五九〇)八月一九日北小弓城廃滅後に五〇〇〇石で入封した地頭西郷弾正左衛門家員は法華宗に深く帰依し、法名を日如といい慶長二年(一五九七)に没した。家員の三男の正員は慶長一八年に襲封し、元和六年(一六二〇)九月には安房へ移封し、東条藩一万石を領した。当寺は弾正左衛門家員の追善のため、西郷正員が大檀越となって建立されたものと推定される。
(中略)
この橋戸あたりには小字名に「大楽寺」「喜蔵寺」の地名が残っていて、戦国時代以来の寺町とも考えられる。
大正二年一一月一〇日夜に汽車(房総線)の煤火により焼失した。そして塩田の篤信者の助成により同四年六月に塩田へ移転したものである。(「千葉市南部の歴史」より)


萬徳寺の周辺図