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猫の足あと

西向山乗蓮寺。横浜市南区井土ヶ谷上町にある高野山真言宗寺院

西向山乗蓮寺の概要

高野山真言宗寺院の乗蓮寺は、西向山妙觀院と号します。西向山乗蓮寺は、源頼家・実朝の菩提を弔うために、北条政子が開基となり創建、照淸法印が開山したといいます。慶安2年(1649)江戸幕府より寺領3石6升の御朱印状を拝領していました。東国八十八ヵ所霊場58番、横浜觀音三十三観世音霊場番外です。

乗蓮寺
乗蓮寺の概要
山号 西向山
院号 妙觀院
寺号 乗蓮寺
住所 横浜市南区井土ヶ谷上町33-1
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 乗蓮寺幼稚園



西向山乗蓮寺の縁起

西向山乗蓮寺は、源頼家・実朝の菩提を弔うために、北条政子が開基となり創建、照淸法印が開山したといいます。慶安2年(1649)江戸幕府より寺領3石6升の御朱印状を拝領していました。

新編武蔵風土記稿による西向山乗蓮寺の縁起

(井土ケ谷村)乗蓮寺
永田村の境にあり、古義眞言宗、石川寶生寺末、西向山と號す、本堂六間に五間西向、本尊不動を安置す、當寺は平政子の建立なりと云傳ふ、寛永十年三月十一日再興、棟札の銘に奉造立鎌倉二位尼御影堂一宇云々、大檀那間宮参次郎忠次、裏面に二位尼者北條四郎時政息女、則右大将北御方、賴家實朝兩公之爲慈母、賴朝公逝去之後、經二十六年、嘉禄元乙酉年七月十二日卒、法名如實、世人號尼将軍則是なり、井戸谷郷依爲尼公分領存日立影堂、號乗蓮寺、雖然度々兵亂破壊、今秀譽法印發分信憑他力令建立者也、伏願以此功徳存靈登上品蓮臺、六趣群類同開覺眼矣と記す、開山は照清法印と云、寂年詳ならず、慶安二年十月十七日、寺領三石六升の御朱印を賜へり。
寺寶
巻物一軸。尼将軍の一代記なり、古き物とは見えず。
掛物二軸。表題には二軸ともに尼将軍縁起繪とあれど、一は北條時政江ノ嶋参籠より尼将軍臨終までのことを記し、一は和田義盛謀叛一條の圖を繪がく。
尼将軍堂。本堂に向て右にあり、二間に二間半、政子の像は木の坐身にて長二尺五寸許、玉眼を入て威嚴ある姿なり、此堂は政子在世の時造立ありしを、中頃兵亂の爲に破壊せられしが、遥の後寛永十年再建すと云、前に記す棟札は此堂のものなるべし。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による西向山乗蓮寺の縁起

乘蓮寺
位置
乘蓮寺は、西向山妙觀院と號し、中區井土ヶ谷町千八十九番地にある。境内は六百十八坪。市内中村町增德院の末、寺格は十八等、市内觀音三十三所番外の靈場である。
沿革
平政子の開基で、照淸法印の開山と云ふ。寛永十年二月十五日議定の關東古儀眞言宗本末帳に、石川寶生寺末、鎌倉二位尼御影堂、乘蓮寺と載せてある。同年三月十一日に、此二位尼御影堂を再興した。その棟礼に、井土ヶ谷鄕は、尼公の分領であつたので、存日に影堂を立て、乘蓮寺と號すとあり、又、緣起には、將軍堂に安置し奉る尼將軍の御尊像は、尼公の御自作で、その晩年の御英姿を鏡に影して、彫刻せられたものであると記してある。慶安二年十月十七日、德川將軍家から、寺領三石六斗寄進の朱印狀を附せられた。延寶八年三月、渡邊吉兵衞尉が尼將軍緣起之圖を繪に作つて寄進し、寶曆八年五月二十二日、江戸富澤町山田半右衞門が、傳、惠心僧都作の阿彌陀三尊を寄進し、明和二年四月八日、住僧照觀が、寶篋印塔を造立した。文化五年、本寺寶生寺門徒書上に、寺格中通とある。明治維新の際までは、當寺朱印地内に、住吉社及び太神宮の鎭座があり、當寺で之を進退して居たが、神佛の分離によつて境域を分けた。明治三年の書上に、「寶生寺末、無住に付、永田村西光院住職、心淸兼帶。元、朱印地高三石餘、山林三段歩、境外内高、四斗八升此段別八畝歩境内。滅罪檀家八軒」とある。明治七年に至つて、增德院の末寺となつた。
本尊
本尊阿彌陀三尊の立像は、惠心僧都作と云はれ、住持秀譽の代、江戸富澤町山田半右衞門が寄進したものである。脇本尊は不動明王の坐像。
附言。風土記には不動が本尊とある。其後、位置を替へたものと見える。
堂宇
現今の堂宇は、本堂 桁行五間、梁間五間、四注造、亞鉛葺。・庫裡 桁行五間、梁間三間半、草葺。長屋門 桁行六間、梁間二間、草葺。等である。
境内佛堂
尼將軍の御影堂は、政子の像を安置した處で、其像は坐像、高二尺五寸、傳に政子自作と云ふ。堂宇は寛永十年三月十一日の再興で桁行二間、梁間二間半、四注造、草葺である。其他には稻荷及び地藏の小堂がある。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


西向山乗蓮寺の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」



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