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猫の足あと

十輪山西光院。横浜市南区永田東にある高野山真言宗寺院

十輪山西光院の概要

高野山真言宗寺院の西光院は、十輪山延命寺と号します。十輪山西光院は、法印覺眞が建保2年(1214)或は建治2年(1276年年)井土ケ谷に創建、文永5年(1268)南永田字谷津へ、さらに文明8年(1576)当地へ移転したといいます。東国八十八ヵ所霊場57番です。

西光院
西光院の概要
山号 十輪山
院号 西光院
寺号 延命寺
住所 横浜市南区永田東1-22-3
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



十輪山西光院の縁起

十輪山西光院は、法印覺眞が建保2年(1214)或は建治2年(1276年年)井土ケ谷に創建、文永5年(1268)南永田字谷津へ、さらに文明8年(1576)当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による十輪山西光院の縁起

(永田村)
西光院
除地、境内一段二畝、境外四段六畝一歩、小名九文字にあり、古義真言宗、郡内石川寶生寺の末、十輪山延命寺と號す、當寺起立は建保二年にて、開山覺眞は建治二年六月九日寂すと傳へり、されど建治は建保を下ること六十年に餘れば、年代隔ちたるに似たり、とにかく舊き寺なるべけれど詳なることを傳へず、本堂五間に六間巽向、本地地蔵は立像にて長一尺七八寸、惠心の作。
御嶽社、山王社、神明社(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による十輪山西光院の縁起

西光院
位置
西光院は十輪山延命寺と號し、中區永田町一千四百八十四番地に在る。境内は四百九十一坪。區内元町の增德院末、寺格は十三等である。
沿革
寺傅に據れば、當院は建保二年、法印覺眞の草創した密場で、元は井土ヶ谷の地にあつたが、其比、所持の田畑山林、竝に檀徒の多くは永田邑にあつた關係から、文永五戊辰年、堂宇を南永田字谷津に移した。然るに年を歴て境地の狭隘を告ぐるに至り、更に文明八丙申年、今の地に移したと云ふ。今の堂宇は、第十七世、快雄の代に再建したもので、大正十二年九月一日の大震災に倒潰したが、同年十二月に、現住第二十七世木下英嚴が修復して再興を遂げた。古來寶生寺末で在つたが、明治七年增德院末に轉屬した。
本尊
本尊は地藏大菩薩の木彫立像、長一尺八寸、惠心作と云ふことである。第十六世快榮の代に再興した。
堂宇
今の堂宇は、本堂(桁行五間、梁間五間、四注造、草葺。向拜銅葺。大正十二年九月一日、震災に倒潰。同年十二月、第二十七世、英嚴の再建。)・庫裡(建坪二十九坪三勺、草葺。外庇三坪一合四勺。大正十二年九月一日震災に半潰。同年十二月第二十七世、英嚴が大修覆を加えて復舊。)・物置(建坪十坪、外庇二坪五合。)及び門等である。
境内堂 
地藏堂三尺四方亞沿葺。には石地藏二體を安置する。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


十輪山西光院の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」



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