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徳恩寺。横浜市青葉区恩田町にある高野山真言宗寺院

徳恩寺の概要

高野山真言宗寺院の徳恩寺は、摩尼山延壽院と号します。徳恩寺は、当地に10世紀末に結ばれていた延命院という庵室を、等海律師(応安6年1373年寂)が開基となり、建武2年(1335)に開山したといいます。江戸中期には末寺十三ヶ寺を擁する中本寺格の法談所となっていた他、慶安2年(1649)には寺領7石の御朱印状を拝領していたといいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場23番です。

徳恩寺
徳恩寺の概要
山号 摩尼山
院号 延壽院
寺号 徳恩寺
本尊 虚空蔵菩薩像
住所 横浜市青葉区恩田町1892
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



徳恩寺の縁起

徳恩寺は、当地に10世紀末に結ばれていた延命院という庵室を、等海律師(応安6年1373年寂)が開基となり、建武2年(1335)に開山したといいます。江戸中期には末寺十三ヶ寺を擁する中本寺格の法談所となっていた他、慶安2年(1649)には寺領7石の御朱印状を拝領していたといいます。

新編武蔵風土記稿による徳恩寺の縁起

(恩田村)徳恩寺
境内御朱印地の内、村の西柳澤佐渡守が采地にあり、古義真言宗、高野山寶性院末、摩尼山延壽院と號す、開山は等海律師建武二年の開基にして、應安六年三月三日寂せり、客殿十間に九間半東向なり、本尊虚空蔵坐像にて、長一尺ばかり、門東向なり、寺領七石は慶安二年八月二十四日賜はれり。
寺寶。金剛薩た(土垂)の畫像一幅。長二尺餘、幅一尺許、弘法大師の筆なり、何の頃にや當寺の僧高野山へ登りし時、護受けしと云、至て古物なり。
鐘樓。門を入て右の方にあり、一間半四方、安永八年の鐘銘あり、後證に足ざれば略す。
辨天社。客殿に向て左の方にあり、四間四方、東向なり、木像にて一寸八分と云、秘して妄にみることを免さず、湛慶の作なりと云、又正観音の像を安ず。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による徳恩寺の縁起

高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺
徳恩寺は元々、延命院という草庵が十世紀末に結ばれていましたが、戦乱や自然災害により衰微し、廃寺寸前であったところ、建武二年(一三三五)、等海律師(一三七三寂)の手によって、高野山真言宗摩尼山延壽院徳恩寺として開創されました。
律師は、金沢文庫称名寺の実真阿闍梨の弟子でしたが、小机三会寺の中興開山と仰がれ、当山を御開創の後に、柿生・王禅寺で示寂された名僧であり、以来、徳恩寺は隆昌を極め、江戸中期には中本寺として近隣の真言宗寺院十三ヶ寺を統べる法談所でもありました。
殊に元禄十四年(一七〇一)には、江戸幕府の名老中であった柳沢吉保の一族である恩田郷を治めていた、柳沢信尹公より、鉄眼禅師の「大般若経六百巻」及び大名駕籠二丁のご寄進、また奥方の念持佛である弁財天一躰及び弁天社を寄進建立されるなど、当山への帰依信仰にあつく、多大な貢献をされ、さらに信尹公の具申により、慶安二年(一六四九)には寺領七石の朱印状を賜りました。
本尊虚空蔵菩薩は、室町期の作と伝えられ、特に毎年十一月の十三詣・七五三の参詣には、ご祈祷をうける幼児や児童で盛況を極め、横浜虚空蔵として地域の人々に親しまれています。
寺宝の金剛薩(土垂)画軸は、当山第十九世開演僧正が、元禄年中に高野山より請来されたお大師さま直筆と伝わり、文政四年(一八二一)に檀信徒の寄附で補修されたものであります。
日本画壇で活躍される入江正己画伯の釈尊降誕図、江戸初期に描かれた涅槃図などの寺宝のほか、昭和四十三年十一月に本堂大改修工事を竣功の折に、事業を記念して、故鈴木憲一・小江ご夫妻にご寄進いただいた、児島一鶏・月岡英貴・蓮尾達雄・若林卓・入江正己・小島昇がはくによって描かれた堂内の襖絵は、訪れる檀信徒の目を楽しませています。(境内掲示より)


徳恩寺の周辺図


関連資料
  • 新編武蔵風土記稿



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