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南蔵院|豊島区高田にある真言宗豊山派寺院

南蔵院の概要

真言宗豊山派の南蔵院は、大鏡山薬師寺南蔵院と号します。南蔵院は、藤原秀衡持仏と伝えられる薬師如来像を円成比丘(永和2年1376寂)が回国修行に携えていたところ、当地で動かなくなったことから、当地に安置して一寺を創建したといいます(註:類似の縁起は行田遍照院などにも有り)。御府内八十八ヶ所霊場29番、豊島八十八ヶ所霊場41番、東京三十三観音霊場21番札所です。

南蔵院
南蔵院の概要
山号 大鏡山
院号 南蔵院
寺号 薬師寺
住所 豊島区高田1-19-16
宗派 真言宗豊山派
本尊 木造薬師如来立像
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場29番、豊島八十八ヶ所霊場41番、東京三十三観音霊場21番



南蔵院の縁起

南蔵院は、藤原秀衡持仏と伝えられる薬師如来像を円成比丘(永和2年1376寂)が回国修行に携えていたところ、当地で動かなくなったことから、当地に安置して一寺を創建したといいます。

「豊島の寺院」による南蔵院の縁起

室町時代円成比丘(永和2年1376寂)の開山。「続江戸砂子」によると養和年中(1181-1182)奥州平泉にあり、藤原秀衡持仏といい伝えて農家にあった当時の本尊を、円成比丘回国の節、霊夢により笈に移してこの高田の里に至る。「しばらく安らうに此笈、磐石の如く農人こぞって挙ぐるに敢て動かず此処有縁の地なりと草堂を建て安置した」と伝えられる。御府内八十八ヶ所霊場第29番、豊島八十八ヶ所霊場41番。(「豊島の寺院」より)

新編武蔵風土記稿による南蔵院の縁起

(下高田村)南蔵院
新義真言宗大塚護國寺末、大鏡山醫王寺と號す、開山圓成比丘と云、本尊薬師は聖徳太子の作長三尺、或云此像は奥州秀衡の持佛たりしか、圓成比丘回國のをり夢の告ありて笈にうつして此高田の里に至るに、笈俄に重りて盤石の如し、此地有縁の地なればとて草堂をいとなみ安置すと云、其後大橋龍慶佛道歸依の餘りしばらく當寺に奇寓しければ、大猷院殿此邊御遊獵の時しはしはならせられ、御殿など御造營ありしとなり、其頃中根壱岐守より龍慶に與へし書状あり、當寺へ御成の時四方へ出入せる門あり八ヶ所門と名付しと云、昔寺内に池あり鏡か池と呼しとなり、當時の山號も是より起れり、今寺内を流るる小溝を根川と云。(新編武蔵風土記稿より)

豊島区教育委員会掲示による南蔵院の縁起

真言宗豊山派に属し、大鏡山薬師寺南蔵院という。寺伝では、開山は室町時代の円成比丘(永和2年1376年寂)とされる。本尊の薬師如来は、木造の立像で、奥州藤原氏の持仏といわれ、円成比丘が諸国遊化のとき、彼の地の農家で入手し、奉持して当地に草庵を建て安置したのが開創であると伝えられる。
正徳6年(1716)の「高田村絵図」(東京都公文書館蔵)には、境内部分に「薬師堂」・「南蔵院」の文字の他、山門、薬師堂と思われる建物、および樹木三本が描かれている。また、江戸時代の地誌にも紹介されており、「江戸名所図会」や「新編武蔵風土記稿」では、徳川三代将軍家光がしばしば訪れたと記している。
現在の境内には、元禄9年(1696)に神保長賢により寄進された山吹の里弁財天の石碑と手水鉢や、庚申塔、六地蔵、彰義隊九士の首塚などの石造物があるほか、墓地内には、相撲年寄である片男波、粂川、雷、音羽山、二子山、花籠などの墓がある。また三遊亭円朝作の「怪談乳房榎」にゆかりの寺でもある。(豊島区教育委員会掲示より)

豊島区教育委員会掲示による江戸時代の当地下高田村

江戸時代の高田村
天保5年(1834)に刊行された「江戸名所図会」では、高田村付近の様子が、長谷川雪旦による三枚の挿絵付きで紹介されている。
「高田」と題された挿絵の中央に南蔵院が配され、境内に薬師堂と鶯宿梅が描かれている。
鶯宿梅は、江戸幕府三代将軍徳川家光が自ら植えたといわれ、このときすでに枯れていたとされるが、「新編武蔵風土記稿」では鶯宿梅の実から育った木が院内にあると記している。
南蔵院の前には右橋、付近には高札場や茶店、道には籠・馬などが描かれている。道を隔てたところには高田氷川神社がある。これらの位置関係や道の曲がり方などは、現在もほとんど変わっておらず、江戸時代の名残りをとどめている。(豊島区教育委員会掲示より)


南蔵院の周辺図




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