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春清寺|三鷹市新川にある曹洞宗寺院

春清寺の概要

曹洞宗寺院の春清寺は、大原山と号します。春清寺は、大原文左衛門春清が開基、無徹玄心(寛永7年1630年寂)が開山となり慶長7年(1602)創建、柴田三右衛門某が中興したといいます。中興の柴田三右衛門は、柴田勝家の子孫だといい、勝家の孫勝重は、大坂の陣の後当地を拝領し、当地に土着、祖先を祀るため勝淵神社を創建したといいます。

春清寺
春清寺の概要
山号 大原山
院号 -
寺号 春清寺
宗派 曹洞宗
住所 三鷹市新川4-4-22
葬儀・墓地 春清寺阿弥陀堂
備考 春清学苑幼稚園



春清寺の縁起

春清寺は、大原文左衛門春清が開基、無徹玄心(寛永7年1630年寂)が開山となり慶長7年(1602)創建、柴田三右衛門某が中興したといいます。中興の柴田三右衛門は、柴田勝家の子孫だといい、勝家の孫勝重は、大坂の陣の後当地を拝領し、当地に土着、祖先を祀るため勝淵神社を創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による春清寺の縁起

(上仙川村)春清寺
境内除地、一町一段四畝十歩、村の東にあり、大原山と號す、洞派の禅宗、當郡和泉村泉龍寺の末、客殿七間に五間半、本尊釈迦木の坐像長一尺五寸許、開基大原文左衛門春清といふ、よりて寺號山號とす、此人は青山百人組のものなりとぞ、其死年月を失ふ、又中興開基は揚源院殿雄山海英居士といふ、寛永九年四月廿四日没す、柴田三右衛門某の父なり、俗稱を傳へず、其家の墳墓あり、天明乙巳之秋十五世孫修理勝房碑を建て家系の要を記せり、其略に遠祖権六郎勝家天文中織田勘十郎に従ひ、後去て織田上総介信長に仕へて戦功あり、修理亮と改む、天正中信長越前へ發向の役に功ありて、越前守に任ぜられ、嘗て日根野某の女を娶て、男勝政を生めり、天正十二年志津嶽に於て戦死す、信長死して勝家羽柴氏を謀らんとしてはたさず、同年四月自殺す、時に勝家が見方に三歳、従者秋元某召て上野國にゆき、日根野氏に匿る、ひととなりて勝重と云、元和元年めされて大坂の役に供奉す、その功によりて凱旋の後、この仙川郷の地をたまふ、よりて遠祖の兜を祀て祠をたつ、今の勝淵の神是なりとぞ。
白山権現。小社、境内の鎮守、客殿の前にあり。
観音堂。三間四方東向、同き所にあり、正観音木の立像、長二尺二寸許。(新編武蔵風土記稿より)

「三鷹市史」による春清寺の縁起

春清寺 大原山
慶長七年(一六〇二)徳川の家臣青山百人組の大原文左衛門が創建した。開基は無徹玄心(寛永七年-一六三〇入寂)。柴田勝家の孫でこの地を知行した勝重以下三代の墓および寛政八年(一七九六)建立の柴田家々碑がある。(「三鷹市史」より)


春清寺の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「三鷹市史」