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勝淵神社|三鷹市新川の神社

勝淵神社の概要

勝淵神社は、三鷹市新川にある神社です。勝淵神社は、柴田勝家の孫柴田勝重が、大阪夏の陣の後に上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)付近を支配地として受領し島屋敷に居住、祖父より与えられた兜を水神の森に鎮めて社殿を建立し勝淵明神社と号したといいます。上仙川村本村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格していました。

勝淵神社
勝淵神社の概要
社号 勝淵神社
祭神 弥都波能売神
相殿 柴田勝家(兜)
境内社 稲荷社
住所 三鷹市新川3-20-17
祭日 -
備考 旧村社



勝淵神社の由緒

勝淵神社は、柴田勝家の孫柴田勝重が、大阪夏の陣の後に上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)付近を支配地として受領し島屋敷に居住、祖父より与えられた兜を水神の森に鎮めて社殿を建立し勝淵明神社と号したといいます。上仙川村本村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による勝淵神社の由緒

勝淵明神社
社地除八畝、谷端にあり、本社六尺四方の覆屋、拝殿二間に三間南向、村の鎮守なり例祭毎年九月十九日、勝淵の水神を祭るとも、又は柴田勝家の兜を納めて其靈を祀れりともいへり、下文にくはし、村内宗念寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

「三鷹市史」による勝淵神社の由緒

祭神、水波能売命。祭礼日、9月25日。もと上仙川村本村の鎮守。創建年代は不詳、勝渕の水神を祀った社で、一説には柴田勝家の兜を納めたと伝えられている。江戸時代は宗念寺持で、明治6年(1873)村社になる。兜塚がある。(「三鷹市史」より)

北多摩神社誌による勝淵神社の由緒

縁起創建年月不詳。明治六年十二月村社に列せらる。(北多摩神社誌より)

境内掲示による勝淵神社の由緒

天正十一年(一五八三)織田信長の重臣柴田勝家は賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄城に於て自刃したが、その折、孫の権六郎(三才)に愛用の兜を与え郎党を供に、上野国の外祖父日根野高吉の元にのがす。権六郎十六才にして元服、柴田三左門勝重と名乗る。慶長四年(一五九九)徳川家康は勝重を召し出し、上野国群馬・碓氷両郡のうち二千石を与える。慶長五年(一六〇〇)勝重は関ヶ原の戦いに初陣、更に慶長十九年(一六一四)大阪冬の陣、翌年元和元年(一六一五)大阪夏の陣に従軍し、その戦功により武蔵国多摩郡上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)その他合わせて五百石を加増される。上仙川村に入村した勝重公は村の中ほどの台地(現島屋敷)に陣屋を建て住居とし、それより北方の台地水神の森に社殿を建立し、その傍らに祖父勝家公より与えられた黄金の兜を鎮めて、神霊とし、社号を勝淵明神とした。
以来四百年、当社は村の鎮守として村民の崇敬の念篤く代々の氏子会により護持されている。(境内掲示より)


勝淵神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)