寛永寺|天台宗関東総本山、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺
寛永寺の概要
天台宗総本山の東叡山寛永寺円頓院は、寛永2年(1625)に現東京国立博物館の敷地に本坊が建立され、以後芝増上寺とともに、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺として隆盛しました。開基は徳川家光、開山は天海です。寛永年に起立したことから寺号を寛永寺、東の比叡山ということから、山号を東叡山と号します。幕末上野戦争の戦場となったことから、多くの伽藍を焼失しました。
| 山号 | 東叡山 |
|---|---|
| 院号 | 円頓院 |
| 寺号 | 寛永寺 |
| 住所 | 台東区上野桜木1-14-11 |
| 宗派 | 天台宗 |
| 葬儀・墓地 | 寛永寺輪王殿で社葬・合同葬等大型葬可能 |
| 備考 | 天台宗関東総本山、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺 |
寛永寺にある文化財
寛永寺にある日本国重要文化財
- 清水観音堂
- 旧本坊表門
- 徳川綱吉霊廟勅額門、水盤舎、銅造奥院唐門、銅造奥院宝塔、浚明院宝塔、文恭院宝塔
- 徳川家綱霊廟勅額門、水盤舎、銅造奥院唐門、銅造奥院宝塔、浚明院宝塔、文恭院宝塔
- 木造薬師三尊像
- 両界曼荼羅図
- 絹本著色両界曼荼羅図
- 天海版木活字
徳川綱吉霊廟勅額門
五大将軍綱吉は、延宝8年(1680)5月に兄家綱の死に伴って将軍の座につき、宝永6年(1709)1月10日に63歳で没した。法名を常憲院という。綱吉ははじめ、善政を行い「天和の治」と讃えられたが、今日では「生類憐みの令」などを施行した将軍として著名。元禄11年(1698)9月、この綱吉によって竹の台に寛永寺の根本中堂が建立された。造営の奉行は柳沢吉保、資材の調達は紀ノ国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門である。又、それに伴って先聖殿(現湯島聖堂)が上野から湯島に移されている。
綱吉の霊廟は宝永6年の11月に竣工したが、それは歴代将軍の霊廟を通じてみても、もっとも整ったものの一つであった。ただ、その一部は維新後に解体されたり、第二次世界大戦で焼失した。この勅額門と水盤舎(ともに重要文化財)は、その廟所と共に、これらの災を免れた貴重な遺構である。勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺。(台東区教育委員会より)
寛永寺にある東京都指定文化財
- 了翁禅師塔碑
- 虫塚
- 慈海僧正の墓
都旧跡 了翁禅師塔碑
了翁は号、諱名を道覚といい、黄檗宗の僧である。出羽国雄勝郡に生まれ、幼い頃から僧門に入った。承応年間(1652-55)隠元禅師に師事し、のち諸国を巡錫している途中、夢の中でたまたま一種の薬法を修得し、これを錦袋円と名づけて、江戸上野不忍池の池畔に店舗を営んだ。数年にして数千両を得、江戸大火に際し、罹災民の救済に私財を投じ、さらには経典七千巻を購入して経庫を造ってこれを寛永寺に寄贈した。天和3年(1683)には勧学院を建てて教育に尽力、その功によって輪王寺宮より勧学院権大僧都法印に任じられた。宝永4年(1707)5月没。ときに78歳。昭和43年10月1日建設(東京都教育委員会)
寛永寺にある台東区文化財
- 木造四天王立像(台東区登載文化財)
- 絹本着色元三大師画像(台東区指定文化財)
絹本着色元三大師画像
「元三大師」とは、康保3年(966)、第18世天台座主となった慈恵大師良源(912-985)のことです。加持祈祷の効験を広く崇められ、数多くの画や彫像が造られました。永観3年(985)の正月3日に没したことから、元三大師と通称されます。
画面の大きさは、たて166cm、よこ83cm。左右に2人の童子を配した坐像で、上方に幔幕を配する形式から、神格化された礼拝像として制作されたと考えられます。制作年代は、後屏の水墨画に室町時代初期を下らない様式が認められ、14世紀末から15世紀始めのころと推定されます。作者は、民部法眼と伝えるのみで、詳しいことはわかっていません。
この画像は、もと比叡山横川首楞厳院にありましたが、元亀2年(1571)織田信長の焼き打ちのおり難をのがれました。寛永18年(1641)、寛永寺の開山天海僧正が、この画像を当時持っていた伊勢国西来寺(現三重県津市)から借りて、徳川三代将軍家光の男子誕生を祈り、四代将軍家綱が生まれたという有名なエピソードがあります。
江戸庶民の信仰も集め、「元三大師まいり」といって多くの人が寛永寺の両大師堂に参詣しました。
現在は秘仏となっていますが、年に一度、1月3日にだけは御開帳されます。(台東区教育委員会)
木造四天王立像
本四天王像は、寛文4年(1664) に大仏師左京法橋康乗によって宝樹院殿(4代将軍家綱の生母)の13回忌のために金銅釈迦如来坐像 (都指定有形文化財)と共に制作され、霊牌所に安置されました(現在は御霊殿の須弥壇上に安置)。
康乗(1644~89)は京都七条仏師の25代で、寛文2年(1662)に法橋に補されました。この頃から東大寺大仏師職の要職にあり、将軍家や皇室に関係する仏像を多く制作しました。
本像はヒノキ材の寄木造で、髻を結い宝冠を着けます。瞋目忿怒相で、各像とも一邪鬼を足下に踏んでいます。光背は火炎付の輪宝光です。
各像とも彩色がよく残っており、持国天・増長天・広目天・多聞天の身色は、それぞれ緑・赤・肉色・青です。台座底面には朱漆で銘文が記されています。
四天王像の形と身色は鎌倉時代初期の記録(醍醐寺蔵「弘安7年東大寺大仏殿図」)に見えるもの同じで鎌倉時代以降、奈良を中心に流布した姿です。「日光東叡山御令旨写」(『御用覚書』収載)中に、造像にあたっては必ず、「如相伝、可令彫刻者也(相伝の如く、彫刻しむるべきものなり)」とか「任大仏師家伝之旨、可作進之者也(大仏師家伝の旨に任せて、これを作り進むべきものなり)」とあるように七条仏師代々相伝の形が踏襲され、基本的な形に変化はつけられませんでした。
本木造四天王立像は、近世初期の優れた作品であると同時に、造立時期、制作者、造立目的を知ることができ、区内の歴史を知る上でも重要な遺品です。(台東区教育委員会
寛永寺の伽藍
根本中堂
本堂に相当します。上野戦争で焼失後、もと子院の大慈院があった場所に、川越の喜多院(天海が住していた寺)の本地堂を移築して根本中堂としました。
書院
本堂裏手にあります。
旧本坊表門
通称黒門。東京国立博物館東側の輪王寺にある。寛永年間の建造物で、もとは、現在の東京国立博物館正門の位置にありました。
清水観音堂
西郷隆盛銅像の近くにあり、千手観音を祀っています。江戸三十三箇所観音霊場6番札所です
弁天堂
不忍池(しのばずのいけ)の中之島に天海が琵琶湖の竹生島の宝厳寺の弁才天を勧請して建立されました。建設は、竜泉弁天院を開基した備中松山城主の水谷伊勢守です。谷中七福神の弁財天です。
旧寛永寺五重塔
上野動物園の敷地内にあります。
上野東照宮
時の鐘
上野公園内、精養軒の近くにある鐘楼です。
旧黒門
清水観音堂の下にありましたが、明治40年に荒川区円通寺に移築されました。
寛永寺の子院
寛永寺は子院36ヵ院の総称ですが、現在は、20子院が現存しています。
| 護国院 | 台東区上野公園10-18 |
|---|---|
| 真如院 | 台東区上野公園15-17 |
| 寒林院 | 台東区上野公園15-11 |
| 林光院 | 台東区上野公園15-9 |
| 吉祥院 | 台東区上野公園15-21 |
| 泉龍院 | 台東区上野公園15-23 |
| 修禅院 | 台東区上野公園15-24 |
| 現龍院 | 台東区上野公園15-25 |
| 見明院 | 台東区上野公園16-18 |
| 福聚院 | 台東区上野公園16-13 |
| 本覚院 | 台東区上野公園16-22 |
| 元光院 | 台東区上野公園16-24 |
| 東漸院 | 台東区上野公園16-3 |
| 覚成院 | 台東区上野公園16-2 |
| 春性院 | 台東区上野公園16-7 |
| 等覚院 | 台東区上野公園16-3 |
| 養寿院 | 台東区上野桜木1-15-3 |
| 津梁院 | 台東区上野桜木1-14-29 |
| 円珠院 | 台東区上野桜木1-5-3 |
| 浄名院 | 台東区上野桜木2-6-4 |
寛永寺の周辺図
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寛永寺
徳川綱吉霊廟勅額門
寛永寺了翁禅師塔碑
寛永寺鐘楼
寛永寺幼稚園