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入谷鬼子母神真源寺|台東区下谷にある法華宗本門流寺院、下谷七福神の福禄寿

入谷鬼子母神真源寺の概要

法華宗本門流の真源寺は、仏立山と号します。真源寺は、光長寺第20世高運院日融上人が開山となり、万治2年(1659年)創建したといいます。入谷鬼子母神として有名なほか、毎年7月の七夕に朝顔市が行われます。下谷七福神のひとつ福禄寿が祀られています。雑司ヶ谷鬼子母神堂、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めています。

入谷鬼子母神真源寺
入谷鬼子母神真源寺の概要
山号 仏立山
院号 -
寺号 真源寺
住所 台東区下谷1-12-16
宗派 法華宗本門流
縁日 朝顔市7月6・7・8日
葬儀・墓地 -
備考 入谷鬼子母神、朝顔市、下谷七福神福禄寿



入谷鬼子母神真源寺の縁起

真源寺は、光長寺第20世高運院日融上人が開山となり、万治2年(1659年)創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による真源寺の縁起

(坂本村)真源寺
同末(法華宗駿河国岡之宮光長寺末)佛立山と号す。開山日融、萬冶2年起立し、延宝9年3月2日寂。本尊三寶。
鬼子母神堂。中老日法の作。日蓮開眼の像也。本寺より伝来と云。世に入谷鬼子母神と称す。(新編武蔵風土記稿より)


入谷鬼子母神真源寺所蔵の文化財

  • 絹本着色朝顔・蜻蛉図(台東区登載文化財)

絹本着色朝顔・蜻蛉図

縦93cm、横33cmの大きさの画面に、二世歌麿が朝顔を、窪俊満が蜻蛉を、朗卿(経歴等詳細は不明)が秋草をそれぞれ淡彩で描いた掛幅装の作品です。また、特徴的なのは、図のほかに複数の人物が俳諧・狂歌の賛を寄せている点です。その名前を列挙すると、酒月米人、大田南畝、麦藁笛成、窪俊満、鹿都部真顔、石川雅望、三陀羅法師、浅草市人、山東京伝、曲亭馬琴と、文化・文政期の有名文人が勢ぞろいといった感があります。このように絵画と文章や俳諧、狂歌などで構成される形式の書画を寄合書といいます。本作品の場合、おそらく狂歌の宣伝などの配り物として作られたのでしょう。というのは、本図と同じ図柄にほぼ同じメンバー(一人入れ替わるのみ)、同じ狂歌・俳諧(窪俊満の「くれなゐのいとの遊ふとみゆるにそ日和定まる秋のかけろふ」、三陀羅法師の「せんたくの雫もかけぬ袖垣に白と浅黄をしほる朝皃」、山東京伝の「朝かほや嵐の庭のやふれ傘」)を含む作品「朝顔図」が奈良県立美術館に所蔵されているからです。寄せ書きは、普通書画会などの席上で即興に描かれたものに多いのですが、本作品に関しては、画中狂歌に、既に狂歌集に発表してあるものが何点かあり、即興の妙を楽しむ書画会などの席画ではあり得ません。
本図に「六樹園」と画賛を寄せる石川雅望は、以前は宿屋飯盛と名乗る狂歌師でしたが、寛政の改革の影響で江戸にいられなくなり、しばらく活動をストップしていました。それが許されて江戸に戻り、活動を再開した時期が「六樹園」と名乗り始める文化5年(1808)以降のことなので、本図の制作時期も当然これ以降となります。また、いつまでに作られたのかと考えれば、作者のひとり、三陀羅法師の没した、文化11年8月8日までとなります。なお、初代喜多川歌麿は文化3年に亡くなっているので、本図の歌麿とは二世歌麿を指します。
本図の制作時期、文化5年から11年という時期は、狂歌界の大御所であった大田南畝が狂歌界から遠ざかり、鹿都部真顔と石川雅望がその後の狂歌界を二分し、徐々に対立を見せていた時期に当たります。この2人は自派の構成員獲得に向け、新しい試みをしており、本図もそういった宣伝活動を含めた試みの一つと考えられます。


入谷鬼子母神真源寺の周辺図


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