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本法寺|台東区寿にある日蓮宗寺院

本法寺の概要

日蓮宗寺院の本法寺は、長瀧山と号します。本法寺は、東光院日先(元和4年1618年寂)が開山となり、天正19年(1591)創建したといいます。

本法寺山門
本法寺の概要
山号 長瀧山
院号 -
寺号 本法寺
住所 台東区寿2-9-7
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本法寺の縁起

本法寺は、東光院日先(元和4年1618年寂)が開山となり、天正19年(1591)創建したといいます。

本法寺の縁起

下総国葛飾郡小金領平賀長谷山本土寺末 浅草八軒寺町
長滝山本法寺 境内古跡拝領地七百弐拾六坪御年貢地二百七十六坪四合内九十四坪半余門前町屋
天正十九辛卯年、起立仕候。
開山東光院日先、元和四戊午年七月五日寂。
本堂、六間四方。本尊首題
釈迦牟尼仏、多宝如来、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩、文殊、普賢、不動、愛染、鬼子母神、日蓮大士
右之外、仏像数多安置御座候。
椎鐘。右は正徳元辛卯年十二月、中瀬氏寄附。銘文左之通。(銘文省略)
祖師堂 土蔵間口弐間奥行弐間半
除災厄日蓮大士、座像長壱尺日向聖人作。天台大師木像。伝教大師木像。
熊谷稲荷社、間口三間半奥行六間
寛文五乙巳年七月甘五日熊谷安左衛門勧請之社ニ而、称熊谷稲荷ト。神体は長九寸。伝教大師自筆一之守と申物并山本氏息女自筆の壱部壱巻之法華経、腹籠りにて縁起有之。左之通。(中略)
末社、間口一間奥行一間半。吉見稲荷大明神、金毘羅最勝大権現、合殿。
帰一殿額字、正二品勝公亨筆。
脊属祭。山本図書之代より毎年十一月晦日に致し来候。
熊谷安左衛門碑、稲荷社前ニ在之
同廟所之碑。山本院一中日頼居士宝永四丁亥年九月四日
右、子孫長州侯藩中山本八郎左衛門。拙寺檀家に御座候。
以上乙酉書上
社伝曰、熊谷安左衛門ハ当寺の檀家ゆへ、初め浅草観音寺内へ勧請せしを、又当寺へ勧請する所なり。熊谷安左衛門墓も当寺にあり。江戸志
毎年十一月廿九日・晦日、脊属祭。盗賊除守札出る。江戸図説
安左衛門ハ元越前の住人にして、山本勘助か甥なり。父を山本図書と云。安左衛門もはしめハ、山本三郎兵衛武頼と云。故ありて氏を熊谷に改む。則当寺の檀家なり。安左衛門、はしめ此社を浅草観音の境内に勧請して、法華経を石に彫りておさむ。其後、故ありて神鉢其外霊宝なと、当寺に移し勧請す。安左衛門か納むる所の縁起、かれか娘の書写せし家の系図も此社に納めてありと云。改撰江戸志(御府内寺社備考より)

本法寺所蔵の文化財

  • はなし塚(台東区有形文化財)
この塚が建立された昭和16年10月、当時国は太平洋戦争へと向かう戦時下にあり、各種芸能団体は、演題種目について自粛を強いられていた。落語界では、演題を甲乙丙丁の四種に分類し、丁種には時局にあわないものとして花柳界、酒、妾に関する囃、廓囃等五十三種を選び、禁演落語として発表、自粛の姿勢を示した。この中には江戸文芸の名作といわれた「明烏」「五人廻し」「木乃伊取」等を含み、高座から聴けなくなった。 「はなし塚」は、これら名作と落語界先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄を作る会、落語講談家一堂、落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語の台本等が納められた。
戦後の昭和21年9月、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが納められた。(台東区教育委員会)

本法寺にある熊谷稲荷

江戸中期の享保年間の頃雷門の浅草寺境内にあった熊谷稲荷を熊谷安左衛門の菩提寺である当本法寺に勧請した。この熊谷稲荷は江戸時代から霊験あらたかな稲荷として信者も多く江戸者に参詣多しと書かれているように世に名高い稲荷である。 稲荷を祀った狐にもさまざまな種類がありその中でも人間に福徳をわかつ狐として白狐だけが稲荷大明神の御本尊にえらばれる資格があると云われている。
白狐は財物に恵まれることと人生の幸福を授かると語り継がれているが熊谷稲荷は白狐を祀った稲荷で江戸浅草の本法寺と東北の弘前の津軽藩公が祀った二箇所しかないきわめて珍しい稲荷で江戸時代から霊験あらたかなお守札をだしている稲荷として世に知られている。(本法寺掲示より)


本法寺の周辺図


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